このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

しらいし
備前 白石城跡
白石城〜旭川中流の建部の盆地を見下ろす山域で、巨大な竪堀がある
<所在地> 岡山市北区建部町大田
<写真左>  旭川越しに見る白石城跡。山上に本丸を置く
<写真下>  城跡から旭川を望む
  
 建部町指定文化財(史跡)
   白石城址
 
 白石城は、室町時代の嘉吉年間(1441〜1444)に、播磨から備前に進出した赤松氏に属した田淵氏光が築城し、永禄7年(1564)に5代城主田淵氏相が、宇喜多勢に攻められ落城するまでの約120年間、田淵氏の居城であったと伝えられている。その後金川城主松田氏・岡山城主宇喜多氏の支配を経て、慶長5年(1600)の関ケ原の合戦で宇喜多氏滅亡後は廃城となり、美作への備えは対岸の建部陣屋へ移った。

 白石城は、旭川と長谷川が合流するすぐ北にある比高約80メートルの急峻な独立山塊を利用して築城している。山上部を削平整地して本丸を置き、三方に下降する尾根上に計12段の小郭を設け、北西斜面には放斜状の空堀14条と、その下方に山形に掘られた2本の大空堀を配している。城山の東西は川に挟まれ、眺望視野も広く小規模ながら均整のとれた山容とともに、天剣と地の利を合わせもつ要衝の地に築城された中世山城跡である。
<白石城址保存会>(説明文は本丸設置の現地説明板より)                    

登城口
 ここから本丸(頂上)まで、写真を撮りながら徒歩約20分。



小郭跡
 本丸へ至る途中の小郭跡。後方の川は旭川。

空堀跡
 山全体が樹木に覆われ、自然地形なのか、空堀(竪堀)なのか判別は難しく、周囲の状況から自分なりに判断して掲載しました。



空堀跡
 この場所も説明板が無いので間違っているかもしれませんが、空堀(竪堀)跡と判断しました。

本丸より一段下の小郭跡



登城道より山上の本丸跡を望む

 本丸跡に建つ城碑と説明板
 本丸跡には、テレビ中継所の建物が建ち、多少の改変は否めないと思われる。


山上部を削平整地して築かれた本丸跡



[交通案内]

<写真上>国道53号線岡山方面(南側)から見た交差点。交差点後方のトンネルは津山方向。
国道53号と484号が交差する信号(信号名・大田)を右折。すぐ右側に登城口がある。左を曲がると大宮橋を渡る。

<写真左>484号線沿いに立つ「現地案内板」に加筆し掲載。下側が北。尚、登城口には駐車場は無いので要注意。

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