このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

          国指定重要文化財(建造物)
備中国分寺五重塔・宝福寺三重塔

備中国分寺五重塔
【所在地】総社市上林  【指定】昭和55年12月18日

■この塔は、江戸時代後期の文政四年(一八二一)から弘化年中まで、二十数年をかけて建立されたもので、奈良時代の備中国分寺の塔とは別のところに建っています。総高約三十四メートルで、三層までは総欅(けやき)造りですが、四・五層は松材が主体となっています。心柱(しんばしら)は大面取りをした松材が用いられており、床下の礎石から塔の中心を貫いて相輪(そうりん)に達しています。初層の四面、頭貫(かしらぬき)の上には、十二支の禽獣彫刻がはめこまれており、また尾垂木(おたるき)の上には龍の彫刻なども施されています。内陣には、仏壇を設けて、象・馬・鳥などの動物に乗った金剛界の五智如来像(大日、阿弥陀、宝生、阿しゅく、不空成就各如来像)が安置されています。 (現地説明板より抜粋)
※相輪(そうりん)=五重塔などの屋根から天に向かって突き出た金属製の部分の総称。

▲備中国分寺五重塔は県内唯一のもので吉備路の代表的な景観となっている

▲江戸時代に再興された現在の備中国分寺境内から見た五重塔
 この五重塔は、屋根の上層と下層がほぼ同じ大きさの細長い造りで相輪も短く、江戸時代後期の様式を濃く残す代表的な塔である。

■五重塔の初層公開(写真上・右)
 毎年4月末頃に行われる「吉備路れんげまつり」に公開される
 

■備中国分寺五重塔周辺図〜吉備路一帯はかつて吉備王国の中心地として栄え、以来数々の歴史の舞台となってきた。古代から中世、近世にいたるまでのいくつもの史跡を見ることができる。
宝福寺三重塔
 様式は室町中期の特色を有する代表的建造物といわれ、凡そ6百年前のものであります。幸い、天正年間の兵史にも免れ、再三の修復を経るも当時の形式を踏襲し、その特質を損することなく保存され、昭和2年国宝の指定を受け、その後特別保護建造物となり、戦後、重要文化財と改称されました。
 木造建築ゆえ白蟻の害と6百年の風雪に堪えかねて、昭和42年解体修理に着手し、昭和44年10月竣工しました。山内第一の古建築が外見上最新の建造物となりました。(現地説明板より一部引用)
 

国指定重要文化財(建造物)

名称

 宝福寺三重塔 附 銘札(宝暦3年)

<所在地>総社市井尻野

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