このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

                 はちはま
     八浜城

      岡山県玉野市八浜町八浜

{八浜城址碑の裏に書かれている説明文}
 八浜城 両児山城 児島地方は戦国時代の末頃、織田毛利両軍の衝突地点であった。
 天正9年春(1581)毛利の大軍が麦飯山城を中心に陣を張った。時に岡山城では宇喜多基家が、城主直家の死を秘し養子として一切の采配を振っていたが、自ら親衛五百を率いて当城に入り毛利軍と対陣した。8月21日大崎の柳畑から八幡社附近で合戦し、城主與太朗基家は討死したが、有名な七本槍の働きによって、さすがの毛利の大軍も引きあげ、翌10年豊臣毛利の決戦 高松城水攻めへの前哨戦となった因縁の城跡である。

※㊤㊧ 空堀跡
※本丸跡 芝生が植えられ公園として整備されている。  右側に空堀が残っています。

{両児山(ふたごやま)に築かれた八浜城}
 ラクダのこぶのような二つの丘陵の右側が八浜城跡(標高53m)。児島湖は左に位置します。別名 両児山城。遺構として本丸跡・空堀が残る。城跡は両児山公園となっている。車で、二つの丘陵の窪んだ場所まで行けます。

▼両児山公園駐車場
右手方向が城跡になります。

▼両児山公園入口

▼両児山公園入口附近。後方は児島湖

城跡から望む八浜の町並みと金甲山

▼頂上近くの両児山公園駐車場の右手に位置し、ここから、徒歩5分です。

【八浜城周辺図】

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■八浜城は、宇喜多直家が、児島支配のため築城。猶子の与太郎基家が城主であった。天正9年の八浜合戦(毛利氏対宇喜多氏)の宇喜多方本陣。城主・宇喜多与太郎基家は、八浜合戦の際、毛利勢と戦い僅か18歳で命を落とした。

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