このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


■彦崎貝塚は、瀬戸内海に面した旧児島湾の南岸に所在。旧児島湾岸は、西日本屈指の貝塚密集地域として著名
■総面積約2,500㎡の広さにおよび、津雲、磯の森貝塚と並び岡山県下でも最大級規模の彦崎貝塚からは、縄文時代前期~後期の縄文土器をはじめ、36種の貝類、石器、装身具、人骨、獣骨など多数の出土品が発見。出土品のほとんどは現在、考古資料として東京大学に収蔵

 
約6,000年前縄文時代前期の彦崎貝塚「貝層」(厚さ約1.7m)岡山市灘崎歴史文化資料館の展示パネルより転載
【所在地】岡山市南区灘崎町彦崎
       JR彦崎駅南側200mあたりに位置
【所有者】個人
【灘崎町の歴史】
 灘崎町は、昔、今の山裾が児島湾の海岸で、平野部一帯(JR彦崎駅方向)は魚介類豊富な遠浅の海岸であった。しかし、江戸期より昭和39年までの百数十年間に及ぶ干拓により肥沃な農地へ変貌、かつての海面は現在では、児島湖としてその面影をとどめているにすぎない。
 谷間に点在していた集落(7集落)は、明治22年の町村制施行に伴い灘村と彦崎村となったが、明治39年には両村が合併し、灘崎村と改称した。
 昭和24年町制施行により灘崎町と改称し、昭和39年農林省により干拓された920haを編入し総面積3、086haとなり現在に至っている。町面積の約3分の2は児島湾の干拓による土地である。
 昭和50年頃から宅地開発が進み、人口も急増、都市化へと移行しつつある。
(文は灘崎町教育委員会リ—フレットに追記、引用)
  
(岡山市灘崎歴史文化資料館展示パネルの説明文に方角を追記し転載)
 
(上)大まかですが、赤い点線内と周辺が彦崎貝塚の史跡指定範囲
(右)彦崎貝塚遺跡の現況(2011年12月)~貝塚には石碑が立っており、一帯は個人所有地。詳細は、灘崎歴史文化資料館で知ることが出来る
 
岡山市灘崎文化センター
 総合コミニュテイ施設となっており、付帯施設として、灘崎歴史文化資料館・中央図書館・ホールなどがある
※灘崎歴史文化資料館では、彦崎貝塚出土品を展示解説しており、彦崎貝塚に関するリーフレットも揃っている

「所在地」 岡山市南区片岡186
「アクセス」 JR宇野線備前片岡駅から北へ徒歩5分
 ■灘崎歴史文化資料館展示の彦崎貝塚出土品■
 国内貝塚初確認!彦崎貝塚出土のトウカイハマギギ
(平成23年度企画展「彦崎貝塚出土の魚‐トウカイハマギギと内海の幸‐」 於・灘崎歴史文化資料館)
 彦崎貝塚から平成15年(2003)の発掘調査で出土し、報告書では、種不明と報告していた動物遺存体が、日本では国内初確認となる海産のトウカイハマギギという幻の硬骨魚類であることが判明した。現在、東シナ海に生息するハマギギ類は、ハマギギ、オオサカハマギギ、トウカイハマギギの三種類である。現生する三種のうち、ハマギギとオオサカハマギギは、暖流の黒潮が分流した対馬海流にのって日本海に遡上し、捕獲された事例が6例あるが、トウカイハマギギだけは皆無であった。勿論、遺跡から検出された事例は、三種ともなかった。トウカイハマギギは、海産性でありながらマングローブ域や河口域の薄い海水を好む性質である。6000年前の児島湾は、三大河川が流れ込む理想的な環境にあった可能性が高い。

 彦崎貝塚から出土したトウカイハマギギの前頭骨や上後頭骨には、刺突痕や切創痕が認められるので、身以外に骨も食用としたことがわかる。この部分は海綿状構造をなし、油分を多量に含んでいる。縄文人はこの油分をも食用としたものと考えられる。この肥大化する二つの骨格の機能として自身の浮力を維持するためと推定されている。体長の三分の一が頭蓋である。現生するものでも体長60㎝~70㎝のものが巨大とされている中で、彦崎貝塚出土のものからは、1mから1.5mに復元できる超巨大な個体もあった。

 また、フローテション資料の実態調査を実施したところトウカイハマギギが50個体以上確認でき、さらに骨格のほぼすべての部位も確認でき、よって彦崎ムラで縄文人が調理していたことも追認できた。しかし、あらたな課題もみつかった。それは、西日本最大の貝塚群である旧児島湾岸の他の貝塚での事例の確認、旧児島湾内で再生産を行ってきたのか、トウカイハマギギ以外のハマギギはいなかったのか、遺跡から絶滅した原因は何であったのかということである。今後の研究が大いに期待できる。(資料館リーフレットより) 
彦崎貝塚出土品<貝・動物・魚・土器>
 彦崎貝塚からは、発掘調査によってたくさんの貝および動物と魚の骨、また、石器や土器が出土。貝は、マガキやハイガイ、ハマグリなどが多く、遺跡からそれほど遠くないところで安定的に採補できたものと考えられる。魚は、マダイやクロダイ、ヒラメなどの大型魚類のほかサッパ、コノシロ、カタクチイワシ等の小形魚類も出土。かつて瀬戸内海に生息したもののその後姿を消してしまった謎の骨も見つかっている。(写真下)

 動物性の食料資源もたくさん見つかっている。その中でもイノシシとニホンジカの割合が高い。主要な捕獲対象がこの二種であったことがわかる。(写真右)

 貝がらや動物の骨などといっしょに、土器や石器、他にも貝や骨でつくった腕輪やペンダントなどの装飾品も発見。(写真右下)
 

 



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