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井上家住宅[三棟] 附 土塀、家相図、宅地〜平成14年5月23日指定 ■井上家は、江戸時代初期以来、倉敷代官所より町役場人に任命された特権的な商人や地主である古禄(ころく)派13派の一つで、屋号を「宮崎屋」と称した。新田開発に従事し、享保年間(1716〜36)には、酒屋・地主をかねた特権商人であった。9代井上素堂(通称善右衛門)は、倉敷村の年寄役をつとめるかたわら、その子端木(はしき)とともに歌人としても知られる。建物は、元禄年間(1688〜1704)またはそれ以前の建物と推測され、主屋は、本瓦葺き・厨子2階造り、親付き切子格子をもつ伝統的町屋造りである。2階外側の7つの倉敷窓(角柄窓)には防火用の土塗り扉がついており、居間の梁(はり)・桁(けた)にはやりがんなの痕が残る。古禄派13家で現存する建物・敷地割はここのみであり、倉敷美観地区内では最古の建築である [所在地]倉敷市本町1−40 [公開日]日曜日のみ。10:00〜12:00/10:00〜15:00.入場料=無料 | |
(上)東側から見た井上家住宅 (右)国指定重要文化財 井上家住宅の木碑 「古禄(ころく)」と「新禄(しんろく)」 当初、倉敷の町で力を持っていた豪商(村役人)は13軒あり、幕末には「古禄」と呼ばれた。古禄は数々の特権を持ち、村の役目も独占していたが、18世紀に入ると「新禄」と呼ばれる新しいタイプの豪商(新興町人)が出現し、古禄との間に激しい勢力争いが起こった。そして次第に新禄の勢力が古禄を上回るようになっていった。現在の町並みを形作っている建物の多くはこの新禄の町屋だったものである。 | |
倉敷窓(角柄窓)〜角柄窓(つのがらまど)とは、窓枠で、水平枠が垂直枠より突き出している窓のこと。 | 主屋1階の親付き切子格子 岡山県の文化財に戻る |
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