このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

■犬養木堂生家■

国指定重要文化財 旧犬養家住宅(正面)
【所在地】岡山市北区川入
【指定年月日】昭和52年4月岡山県史跡に指定  昭和53年1月国重要文化財に指定(主屋・土蔵)
犬養木堂胸像(木堂記念館展示)
 犬養 毅は、号を木堂(ぼくどう)と称し、安政2年(1855)この地に生まれた。明治23年(1890)36歳で衆議院議員に初当選し、以後、憲政擁護運動の先頭にたった。
 昭和6年(1931年)12月、76歳のとき第29代の内閣総理大臣となり、満州事変の解決にあたったが、翌年の5月15日首相官邸において凶徒に襲われ、「話せばわかる」の言葉を最後に志なかばにして没した。(いわゆる5・15事件)
 犬養家は、代々庄屋や藩の要職を勤めた農家で、この生家は江戸時代中期に建てられたものである。この地方の近世民家の代表的なものとして価値が高く、国の重要文化財に指定されている。老朽化がはなはだしかったため、昭和54年(1979)解体復元したものである。
(現地説明板とリーフレットより引用)  
■木堂生家■

木堂生家入口
 門奥の建物が、木堂生家。


土間

座敷

台所
■木堂記念館■

記念館正面
 記念館は、平成5年10月に、木堂生家から小川を隔てた隣地に建設された。

館内

●交通 
 バス 岡電バス川入下車 徒歩3分
     電車 庭瀬駅下車 徒歩25分
     ※無料駐車場有(新幹線沿)


 吉備津神社前に建つ犬養木堂像
   犬養木堂先生 銅像の説明
 犬養毅(木堂と号す)は安政2年(1855)に備中国賀陽郡庭瀬村(現在、岡山市川入)に犬養源左衛門の2子として生れる。明治8年(21才)上京し慶応義塾に学ぶ。明治10年(23才)西南戦争の起るや従軍記者となったが、その後、文筆と雄弁とをもって政治運動に入り、明治23年(36才)衆議員議員となる。明治31年(44才)文部大臣に任ぜらる。その後、立憲国民党、革新倶楽部等を組織し、「憲政の神」と称せらる。大正13年(70才)逓信大臣、昭和4年(75才)政友会総裁となり昭和6年総理大臣となる。しかるに、翌昭和7年(1932)いわゆる5・15事件勃発し過激派のために官邸にて暗殺さる。享年78才、正二位・旭日桐花大綬章を追贈せらる。
 毅の生家(此処より南方へ約3キロに現存)は代々庭瀬藩の大庄屋、その遠祖犬養健命(いぬかいたけるのみこと)は大吉備津彦命の随神なり。よって氏神吉備津神社のため尽瘁するところ多し。毅の没するや郷党の人々その高風を慕い、昭和9年この地に銅像を建つ。作者は朝倉文夫、雄姿堂々として天下を睥睨するの概あり。(現地説明板より)

                             
岡山県の文化財に戻る
犬養木堂記念館案内図〜主屋は南(案内図左が南)向きで、南には座敷、中の間、上端の3室、北には納戸、部屋、台所の3室が並ぶ。納戸の北には蔵前の部屋があって土蔵(内蔵・外蔵)に通じている。

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください