このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
【戦国時代の山城 / 戦国時代の合戦の多くが山城を舞台に繰り広げられた】
かながわ
金川城 岡山市御津金川
[金川城跡全景]
▼本丸跡から北東に少し行くと「北の丸跡」「白水の井戸跡」「空堀」へと至る。
金川(玉松)城周辺図
■三の丸跡に残る古い石垣の一部
■旭川に
現在は城山国有林の一部になっており、レクリェーションの森「城山風景林」と名付けられ、臥竜山自然公園として整備されて城跡を巡る遊歩道も設けられている。
▼本丸跡▼
▼天守の井戸跡▼
■二の丸跡から望む旭川・金川の町並み
「千鳥坂」
▼登城道(遊歩道)の案内板と登城道
御津支所前から登り、千鳥坂経由で出丸跡・二の丸跡・本丸跡・北の丸跡・道林寺跡(三の丸跡)へと辿るコースです。
なお、遊歩道には、写真(右)のような階段が総数1.764段設けられています。
遺構を巡る
{城内案内板より}
{城内案内板より}
●金川城 概略
この城の築城は諸説があって定かではないが、築城時期と築城者には2説ある。承久年間(1219〜22)の松田盛朝(もりとも)、1483年(文明15)の松田元成(もとなり)である。以後、西備前を支配した松田氏代々の居城であり、西備前随一の山城として栄えた。しかし、1568年(永禄11)、宇喜多直家に攻められ落城。直家は弟の春家を城主とした。その後、関ヶ原合戦で宇喜多氏が滅亡すると、小早川氏・池田氏と備前の国主は交代する。廃城も不明であるが、1603年(慶長8)とも、また、池田氏の家臣日置氏時代の1615年(元和元年)、徳川幕府による一国一城令によって廃城となったとも伝えられている。
現在、山頂一帯に、郭跡・井戸跡・堀切・石垣の一部などの城郭施設が残されている。
■二の丸跡
■二の丸跡にある
杉ノ木井戸跡
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |