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かん の ぶち いけ
堰堤上に立つ改築記念碑(左端)と神之淵池碑
余水吐(よすいばき)〜余剰水を流す放水路。
▲「神之淵池」堰堤上から望む「北庄の棚田」
▲「北庄の棚田(日本棚田百選)」から見下ろす「神之淵池」
平成22年3月選定
この池は、大正13年(1924)の大旱魃(かんばつ)を契機として、地域の農民が結束して立ち上がり、昭和3年の完成まで、5年の歳月を費やして築造したため池である。要した労役延べ50万人、工費百万円(現在の貨幣価値換算約3億5千万円)底樋(そこひ)48メートル、縦樋(たてひ)19メートル、水深15メートル、貯水量約11万立方メートル。灌漑(かんがい)面積約40ヘクタール。 土木機械というものが全くなかったその時代に、組合員が一丸となり、黙々と毎日10時間の重労働に従った。千本突きと杵(きね)突きにより、3センチの鋼土が1センチ以下になるまで突き固め、コンクリート以上の硬度にするという、気の遠くなるような作業の積み重ねによって、高さ22メートル、延長128メートルの堰堤(えんてい)を築き、80年を経た今日に於いても危険を感じる水漏れは全く生じていない。 正に人間の「汗と脂と精神力」によって成し遂げた偉業を、目のあたりにする思いである。後年、岡山県知事萱場軍蔵は、この事業を「人間業の極致」と讃え、昭和天皇は侍従をご差遣(さけん)になってお言葉を賜わった。この池の完成により、新しい周囲21ヘクタールが生まれ、地域の農家一戸当たりの耕作面積は倍増し、単位面積当たりの米の生産量と、貯蓄高が県下一と謳われるまでになったのである。海抜526メートルの笛吹山(ふえふきやま)より受け、翠を湛えたこの水は、蜘蛛の巣のように張り巡らされた水路と、サイホンと、隧道(ずいどう)を経て、起伏つねならぬ急傾斜地帯の水田の、隅々にまで届けられ、史蹟誕生寺を囲む疏水となり、岡山市に至るまでの灌漑に余慶(よけい)を与え、上水道の水源ともなって、人々の生活と心を潤し続けているのである。 平成22年5月 久米南町・神之淵池用水組合 (現地説明板より) |
■ため池は、降水量が少なく、流域の大きな河川に恵まれない地域などで、農業用水を確保するために水を貯えられるよう、人工的に造成された池のこと。
■神之淵池は、棚田百選の北庄の水田を潤し、ブランド米「棚田米」の礎となっているため池。
■灌漑用の溜池の堤防を、土を突き固めて造る作業を「だんじこ」ともいう。
※水利系統図は現地説明板より。
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