このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

吉備真備(きびのまきび)公園(矢掛町東三成)は、奈良時代の政治家・学者吉備真備(六九五〜七七五)を顕彰する目的で、吉備公ゆかりの下道氏(しもつみちし)館址(かんし)と伝えられる地に整備。中央は吉備真備公像、右の建物は館址亭(吉備真備公園入口からの眺め)

 吉備真備公園について
 旧山陽道の北側の平地三万平方メートルは、古代の布目瓦を出土すること等により古来から「壇の内」と呼ばれ、正二位右大臣吉備真備公の居館跡と伝承され、遺跡に指定されています。
 遣唐留学生の吉備公が天平七年(七三五)当時世界最高といわれた貴重な文物をもって帰国して以来一、二五〇年になるのを記念して、県民有志により中国西安市へ日中友交のしるしの記念碑を建立しました。これを承けて吉備公の地元矢掛町ではこの館址に記念公園を建設いたしました。
 公園は八〇メートルの石敷参道の正面に、上下二段になった基壇を造り、古代中国で皇帝が五穀豊穣を祈った天壇の形式とし、上壇中央に総高六・四五メートルの吉備公の銅像を安置し、周囲に絵巻石屏風、大碁盤、日時計を配置し、広場に館址亭、産湯の井戸を整備しました。また背後の林地を古代の丘として前方後円墳を形どった広場に環状列石風にオブジェを建て、四方を守る方位石、古代風俗を示す風物石、吉備公の功績を示す歴史石を配置、周囲は森林浴を満喫できる憩いの場とし、県下唯一の古代オブジェ公園を造成いたしました。どうぞ林間を散策しながら古代の文化に親しんでください。
(文と平面図は現地解説板より)

絵巻石屏風

<絵巻石屏風下に刻まれた説明文>
吉備大臣入唐絵詞
 奈良時代正二位右大臣に昇り軍制を改め、新暦を定め、農産を奨め、民訴を聴き、律令を定め、内乱を除き、人倫を諭し、片仮名を創始する等、善政を布いた吉備真備は朱鳥九(六九五)年下道圀勝の長男として此処に誕生した。そして留学生又遣唐副使として再度唐に行き先進の文物を日本に請来し、国政に大きな功績を遺し吉備朝臣の姓を勅許され、後には正二位勲二等右大臣中衛大将兼備中国下道郡大領に累進し、宝亀六(七七五)年八十一歳で薨去(こうきょ)した。この吉備真備が遣唐副使として渡唐した時現わした才智に感じ玄宗皇帝が帰国させなかった逸話を絵巻物にしたものがこの吉備大臣入唐絵詞である。
吉備大臣唐に着く
 吉備大臣の乗った遣唐船が唐へ入港しついで群臣に守られながら迎えの馬で唐の都長安へ向かった。
大臣知識を試される
 唐人は吉備大臣の才智を恐れて高い御殿に閉じこめたが大臣は平気でいた。そこで唐人は、日本にまだ無い本で試すことを計画した。従者の知らせでこの事を知った大臣は博士の講義を従者に暗記させ文選の文章と判ったので、古い暦の裏へその文章を書き散らした。それから三日たって来た勅使は文選が書いてあるのに驚いた上に日本では誰でも知っていると言われ慌てて皇帝に知らせた。皇帝は大変口惜しがった。
囲碁のためし
 唐人達は大臣を囲碁で試す事にし名人と対戦させた。しかし持碁になりそうなので大臣は相手の黒石を一個飲みこんだ。後に石を数えた処名人は一目の負になった。占いで調べたら大臣の腹中にあると判ったので吐出薬を飲ませたが大臣は秘術を使って薬だけ吐いて碁石は吐出さなかったのでとうとう大臣の勝となった。
野馬台の詩
 絵にないが蜘蛛の糸に導かれて野馬台の詩の謎を解いて唐人を感心させた。
日月をかくす事
 又幽閉されたので大臣は呪文で双六の筒の中に日と月をかくした為に天地が暗闇になったが慌てた玄宗皇帝が帰国を許したので大臣は日月を元へ戻し再び空が明るくなった。吉備真備はこのように知識が広く深い人だった。
 吉備公ゆかりの地
  矢掛町重要文化財(史跡)
    所 在 地  矢掛町東三成
    指定年月日 昭和四十八年四月十一日指定


 この吉備公ゆかりの地には屋敷跡とみられる土塁に囲まれた「だんのうち」と呼ばれる平地があり、このあたりから奈良時代の瓦片が出土している。(平瓦・・平城宮六六六三型式、軒瓦・・平城宮六六二五型式など)そのためか、この辺りの字は瓦谷という。地元では吉備公館址と称され、下道氏の館址と伝えられているが、ここに下道氏墓所を祀る寺院があったとする瓦谷廃寺跡説もある。現在、吉備大臣宮として祭祀されている。また、この宮の西に阿藤大簡(現浅口市鴨方町出身)の「吉備公館址詩」を刻む石碑がある。毎年五月には吉備保光会による吉備公祭が行なわれている。
            矢掛町教育委員会 (現地解説板より)
  囲碁発祥之地記念碑について
 奈良時代の偉人正二位右大臣吉備真備公は二度にわたって万里の波涛を越え遣唐使として唐の都長安に渡航し国威の発揚に尽力され天平七年(七三五)帰国に際しては当時世界最高といわれた唐の最新の文化を数多く持って帰り、日本の政治、文化、軍制の発達に大きな功績を挙げました。
 平安時代後期に書かれた江談抄には吉備公が在唐中、唐の囲碁名人と対局し、知恵をもって勝った説話があり、これが日本の著作に現れる囲碁に関する最初の説話であるところから、吉備真備公が、日本における囲碁の開祖として伝えられ、その後の各種辞典、又著作に現れております。
 その故に吉備真備公は日本における囲碁の開祖であり、その居館跡を囲碁発祥の地として、吉備真備公の遺徳を顕彰するためにここに記念碑を建立したものであります。
  平成二年十一月吉日 吉備保光会  (現地解説板より)
  古代の丘

 古代の丘は飛鳥・天平時代を中心に古代の文化と知恵をモチーフとしたオブジェを配置し歴史を通じて生き続ける賢者の知恵や宇宙観にふれられる場を創作しました。金形は前方後円墳を形どり前方部のお立台は易の八卦に通ずる八角とし舞台にもなります。後円部は径三〇メートルの円形を玉石で縁どりここにつぎの三種のオブジェを古代祭祀遺跡の環状列石のように建てました。

一、方位石 四神と星座で表現しました。
二、風物石 唐の風俗、文化を表現しました。
三、歴史石 吉備公の生涯と功績をオブジェで表現しました。
                        (現地解説板より)

館址亭
 中国家屋を再現した館址亭では手打ちうどんを販売し、観光客らの人気を集めている。 

吉備大臣産湯の井戸
 吉備大臣ご生誕の前夜、東の空から明るい光の尾をひいて一つの星が流れ御館の西の井戸に落ちました。そして次の夜輝くばかりの玉のような男子が誕生し御館は歓びにわき、この井戸を「星の井」と呼び、この水で産湯を使われましたので、それからこの井戸が「吉備大臣産湯の井戸」と言い伝えられています。(現地解説板より)
※真備町箭田にも吉備公産湯の井戸がある。


石碁盤
 吉備公が中国から伝えたとされる囲碁にちなんだ石造りの大碁盤。

日時計


吉備真備公園の様子
 左端の建物は吉備大臣館で隣には藤棚が設置。右端は館址亭となり、右奥には吉備真備公像がそびえる。

現地周辺図(現地案内板に一部加筆の上、掲載)

所在地:小田郡矢掛町東三成
年中無休・入園無料
最寄駅:井原線三谷駅から徒歩20分

吉備真備公の関連施設
まきび公園(倉敷市真備町箭田)
 
円形の窓のある門と池に架かる石橋

【まきび公園について】
 この公園は、昭和61年5月、中国西安市(旧長安)の環状公園内に、吉備真備の記念碑とその周囲に日本庭園が完成したのを記念し、吉備真備ゆかりの当地に建設したものです。公園内には、六角亭・門窓・竜頭などを配し、植栽している樹木は、おもに中国で尊重される楷・柳・梅などで修景して中国風公園とし、記念広場には、西安市に建立されている吉備真備の記念碑と同形の記念碑を設置しております。またこの公園内には、吉備真備一族の菩提寺といわれている吉備寺や墳墓もあり、近くには、館趾や産湯の井戸・琴弾岩などの遺跡や名勝が散在しております。(現地解説板より)

 
吉備真備公顕彰碑と六角亭(中国風の建物)

【吉備真備公顕彰碑】


   故右大臣  故右大臣(吉備真備)は
   往学盈帰  往きて学び()ちて帰る
   播風弘道  風を(ほどこ)し道を弘め
   遂登端揆  遂に端揆(たんき)(大臣)に登り
   式翼皇猷  ()って皇猷(こうゆう)(天子の政治)を(たす)けたり
この碑文は、平安京を開いた桓武天皇が、延暦3年(784)の(みことのり)のなかで、吉備真備公を讃えて述べた言葉である。

碑文の意味〜吉備真備公は、中国唐の進んだ文化や政治制度を採り入れるために大海の波涛を越えて中国へ渡った。そして17年間様々な学問を学び、頭の中にいっぱい学問を詰めて帰国した。帰国後は日本の人々に新しい生活のあり方を教え、人として生きるための道徳を広め、遂に右大臣にまでに昇進して、天皇の政治を助けた。

この吉備真備公顕彰碑は、吉備真備公を深く尊敬する真備町出身で倉敷市在住の宇渡宅二氏の協力のもと真備町文化協会が、日展作家の佐藤翠雲氏に揮毫を依頼し、真備町箭田の「まきび公園」に平成16年5月4日に建立除幕したものです。真備町は昭和27年に町が誕生した時、町名を吉備真備公にちなんで真備町と名付けました。それ以来、真備町は真備公を町のシンボルとして町づくりの核に捉え、「まきび公園」や「まきび記念館」をつくり、真備公ゆかりの中国西安市長安区との間で交流を続けてきました。(まきび記念館パンフレットより)


まきび記念館
 公園の一角に、昭和63年開館した、中国情緒を漂わせる大屋根に朱塗りの柱が印象的な建物。
開館時間  午前10時〜午後4時
休館日   毎週月曜日及び祝日・年末年始
入館料   無料


まきび記念館の内部
 真備公関係の資料を写真やパネルなどで展示。

吉備公館址
 吉備公が生まれた屋敷跡とされている場所で、石碑だけが建つ。ここから10mほどの所に吉備公産湯の井戸がある。

真備町箭田にある吉備真備公産湯の井戸
 この地は、昔天原といい、吉備公の御館があった所で、真備が生まれる前夜この井戸へ星が落ちたので、星の井と言われるようになった。(現地解説板より)


吉備寺
 園の入口にある鏡林山吉備寺は吉備真備公の菩提所として知られる。箭田大塚古墳の出土品や国の重要文化財の白鳳時代の蓮華文鬼瓦と当時の礎石などを保存している。

交通 井原線「吉備真備駅」から徒歩約10分



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