このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
国宝・国指定重要文化財(建造物) | |||
第10代崇神天皇の御代に、四道将軍として吉備国に派遣された吉備津彦命を祭神とし、古来吉備地方の総氏神として崇敬されている。 現在の本殿及び拝殿は、応永32年(1425年)に完成、本殿は、比翼入母屋造または吉備津造とよばれる。独創的様式の大建築で、拝殿と共に国宝に指定されている。また、延文2年(1357年)再建の南随神門、天文12年(1543年)再建の北随神門、慶長17年(1612年)再建の御釜殿は、共に国の重要文化財に指定されている。 廻廊は、県指定重要文化財で、天正7年(1579年)の再建。 | |||
■本殿・拝殿 附 棟札(国宝) ■南・北随神門(国指定重要文化財) ■御釜殿(国指定重要文化財) ■廻廊(県指定重要文化財) | |||
<境内の文化財> | |||
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本殿・拝殿(国宝/国指定重要文化財)) 室町時代応永32年(1425年)の再建で建築様式は「比翼入母屋造」。全国でも当社だけの様式で「吉備津造」とも称されている。 | |||
別角度から見た本殿・拝殿 | 拝殿 | ||
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北の参道に位置する北随神門(国指定重要文化財) | |||
北随神門正面 | 北随神門拝殿側 | ||
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南随神門(国指定重要文化財) 吉備津神社に現存する最古の建造物。 | 廻廊の途中に建つ南随神門 | ||
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慶長17年(1612年)安原知種が願主となり再建(国指定重要文化財) 御釜殿鳴動神事の由来 社伝によれば御祭神に退治せられた鬼「温羅(うら)」を祀る処と伝えられる。縁起によると、或夜、吉備津彦命の御夢に温羅の霊が現れて「吾が妻、阿曽郷の祝の娘阿曽媛をしてミコトの釜殿の神饌を炊かしめよ、若し世の中に事あらば釜の前に参り給はば、幸あれば裕かに鳴り禍あれば荒らかに鳴らふミコトは世を捨てて後は、霊神と現はれ給へ吾が一の使者となりて四民に賞罰を加へむ」と告げた。これ神秘な釜鳴神事のおこりである。今日も「鳴釜の神事」が行われており鳴動の音の大小長短により吉凶禍福を卜(うらない)するのである。 江戸時代の林道春の「本朝神社考」や上田秋成の雨月物語「吉備津の釜」などに紹介され神秘な神事として天下に有名である。 うずなへる神のひびきに鳴る釜の 音のさやけき 宮ところかな 重胤 | |||
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廻廊(県指定重要文化財) 天正7年(1579年)の再建で、全長360mにも及び、自然の地形そのままに一直線に建てられている。 | |||
廻廊の内側 この奥に南随神門が位置する。 | 南随神門から見た廻廊 長さと曲線の美しさが特徴。 | ||
[所在地] 岡山市北区吉備津 [交通] JR吉備線吉備津駅から徒歩10分 [追記] 各文章は、神社内の説明板より転載、および説明板を基に作成。 おかやまに関する日本100選に戻る |
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