このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


【所在地}総社市山田
{形 式}
鬼身山(標高284m)頂上に築かれた山城
{遺 構}
石垣・曲輪(一〜十二ノ壇)・井戸

{沿 革}
 鬼ノ身城がいつ、誰によって築かれた城であったかについては伝えられていませんが、南北朝時代末期には今川上総介泰範が、16世紀初めからは上田氏が城主になったことが分かっています。
 

 5代目の上田孫次郎実親は、備中松山城主三村元親の弟で、三村方に所属していました。その三村氏は、毛利方に所属していましたが、天正2(1574)年にむほんを起こしたことで、同年11月に毛利方の大軍が備中国へ出陣して来ました。三村方は居城の松山城をはじめ、備中国内にある出場の防御を固め、鬼ノ身城へも兵3000騎を配置しました。
 

 しかし、三村方の諸城はことごとく落城し、鬼ノ身城も天正3年1月16日より包囲され籠城戦となり、23日からは数万の兵による総攻撃を受けました。城は昼夜の戦いにも耐え続けましたが、ついに開城するしか方法がなくなりました。城内の兵を救うために城主上田実親は命をかけました。1月29日辰の刻に切腹。この時、実親は20歳でした。
 

 上田氏滅亡のあとは、毛利方の武将である宍戸安芸守隆家が城主に命ぜられて、城代が置かれましたが、関ヶ原の合戦の後に廃城となりました。城が築かれた場所は、瀬戸内から陸路で松山城へと通じる街道に面しており、また瀬戸内への前線拠点としても重要な城でした。
(文は現地説明板より一部抜粋・訪問日 2012年12月)


▲県道54号線から鬼ノ身城跡を望む
頂上の平坦部が主郭の一ノ壇跡。

▲鬼ノ身城跡から眺める登山口周辺
城跡へは、池のそばを通って登っていく。

 【鬼ノ身城実測図(現地説明板より転載)

 岡山県下では珍しい「扇の縄」といわれる堅固な山城を築く。

 山頂の主郭(一ノ壇)から扇を広げた形に壇を連続し、人頭大の石や一抱えもある角礫を使った石垣なども築きながら3段で構成されている。

 中世から戦国期の山城の形状がよく残されており、防御性にすぐれた山城であったと評価されている。(文は現地説明板より引用)

※下の写真は、四ノ壇跡、五ノ壇跡、六ノ壇跡周辺を撮影したものです。
 
▲鬼ノ身城曲輪群
左端の一番高い平坦部は四ノ壇跡、その右側、一段低い所は五ノ壇跡、さらに一段低い削平部分は六ノ壇跡。

 【鬼ノ身城鳥瞰図】
(休憩所の掲示パネルに一部加筆の上、掲載)

 城は、山頂の主郭(一ノ壇)から扇状に広がるように郭や壇を配し石垣も構築するなど、中世の城の形状がよく残されている。

 頂上の主郭(一ノ壇)には、諏訪神社(小さな祠)があり、休憩所が建つ。

※六ノ壇から十二ノ壇の位置については、実則図を基に想定して記入していますので御了解下さい。
 
▲四ノ壇跡から頂部の一ノ壇跡を望む
一ノ壇跡を要として、手前側に向かって扇状に曲輪群が展開。


▲一ノ壇跡
現在、この場所には諏訪神社があり、休憩所(展望施設)が建つ。また、この場所には、城に関する説明板等も設置。


▲一ノ壇跡から見る四ノ壇跡
四ノ壇跡手前が三ノ壇跡、二ノ壇跡となり、南北に長方形に壇が築かれている。

▲右奥の一番低い平坦部は六ノ壇跡〜八ノ壇跡周辺。左側の一段高い所が五ノ壇跡で、奥から手前に向かって帯状に延びる。

▲五ノ壇跡と、斜め左に一段下がって九ノ壇跡の様子。写真には写っていませんが右上が一ノ壇跡。

 
▲十ノ壇跡〜十二ノ壇跡周辺
中央後方が城域への入口となり、ここから曲輪群が頂部の一ノ壇跡まで3段構成で展開する。


 ■石垣遺構■
 
▲らせん状になった城域入口あたりに散乱する積石(城内側より)


▲城域入口周辺(城外側より)

▲城の石垣に使われた積石かどうか分かりませんが、「打込(うちこみ)はぎ」の形状をした石が見られます。


▲この道を登れば、頂上(一ノ壇跡)に至る。その北面(写真右方向)には石垣の一部が残る。


▲頂上(一ノ壇跡)手前の崩れかけた石垣
  
<交通アクセス>

▲高梁川に架かる県道80号線の「総社大橋」を渡り、道路標識<矢掛>に従って県道80号線を進み、県道54号線との交差点(新本郵便局が目印)を右折、数百メートル先の二股(赤い矢印)をさらに右斜めへ進む。右の写真が二股の場所。後は各所に鬼ノ城跡への標識が掲げられているので、下の案内図の分岐点まで辿り着ける。

▲県道54号線から右斜方向に曲がり、城跡への案内標識に従って進む。

 
▲この案内図は、分岐点の場所に立っており、一部加筆して引用。鬼ノ身城跡へは、舗装されていない右方向へへの道を行く。


▲左の案内図、「鬼ノ身城への標識の場所
案内標識のドラム缶が置いてあり、城跡まで約200メートルと表示。
ここから、右に登り10分ほどで城域に到着。


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