このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
旭川に架かる京橋を南から望む 宇喜多秀家の時代に、岡山城下町の建設は本格的に行われた。天正19年岡山城拡張の築城に着工、石山にあった本丸を東方の柴津岡山に移して西側の旧岡山城地(石山)方向へ城域をのばし、城の防備のため、竹田村・河原村・浜村の東側を流れていた旭川本流を西側に移して城の東側へつけかえ、さらに城の北で流れを二分させて、南西方向への流路をつくったとされる。また、城下町の入口に位置する中島を開発し、京橋・中橋・小橋を架橋して、道路を整備した。 <「岡山県の歴史(山川出版社)より抜粋> | |
「所在地」岡山市北区京橋町 岡山市の北区と中区区境(旭川の中央)の旭川に架かる橋 ※日本百名橋は、橋梁工学の専門家である大阪市都市工学情報センター理事長の松村 健が、その著書「日本百名橋」において私選した日本の100の橋。 | |
西側から見た京橋 | 京橋には岡山電気軌道東山線(路面電車)が敷設されている。 |
京橋水管橋(左側。国登録有形文化財)と京橋(右側) | 京橋水管橋(左側。きょうばしすいかんきょうと読む)と京橋(右側) |
京橋の橋脚 | |
◇復元した石材橋脚(上)と、その説明板(下)◇ | |
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