このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


名 称 経山城跡(きょうやまじょうあと) 
平安時代、この一帯は山岳仏教の霊場として栄え、多数の経塚が築かれたことから、この城は経山城と呼ばれている
所在地総社市黒尾
形 式標高372.7mの経山山頂に築かれた「山城」
指定区分総社市指定史跡(平成11年4月28日)
遺 構石垣 曲輪 堀切
【経山城跡北面に残る石垣】
経山城では、この場所に唯一、石垣の一部が僅かにみられるだけである。写真下は、左の石垣遺構を横斜めから捉えた写真。
【城跡の現状】
『概要』
 経山城は、守護大名の大内氏が天文年間に築いたといわれる山城です。天文12年(1543)に赤松春政、元亀2年(1571)に尼子晴久の城攻めがあり、天正10年(1582)の高松の役後に廃城となったと考えられます。
 城は、山頂の主郭を囲むように壇や郭、曲輪を配し、さらに石垣や石塁、堀切を備えるなど、城の形状がよく残されている山城です。 (現地説明板より)
▲経山城跡から望む鬼ノ城
【経山城へのアクセス】岡山方面から行くと、国道180号線の国分寺口交差点を右折。直進し、JR吉備線を渡り、岡山自動車道をくぐり、先ずは砂川公園を目指す。案内標識が随所にあるので登り口まで分かり易い。
<作成日:2012年12月>
                           


■入城口に立つ標柱そばには、崩れたと思われる石積みの痕跡が残る。この標柱横面に、城の沿革が記されている。
■南側から見た、うっそうと茂った自然林に覆われた山頂の城跡。
■急斜面(切岸)には、石垣に使われたと思われる石が散在する。
■当時をしのばせる幅3m余り、高さ1m位の石垣下方は、急斜面(切岸)の構え。
■経山城北側の郭跡。奥左側の石垣は、冒頭に掲載した石垣の在る処です。下の左右2枚の写真は、その石垣下からの写真。
■経山城の北側。ここから南方向に、石垣、土塁、空堀などで区画した城跡が展開する。三方は谷に囲まれており、城に入るには、この北側からしか入れない形態。
■経山城南側の郭跡。
■山頂の主郭部分。経山城は小規模な縄張で、こじんまりとした山城である。
■鬼ノ城に向かう林道の左脇にある経山城登り口。ここから鬼ノ城までは、徒歩で5〜6分位。
■登り口から約5分ぐらいで尾根に辿り着き、ここにも石柱が立つ。
■尾根伝いにしばらく進むと経山城の北側(写真下)に到着。

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