このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


 岡山城烏城公園

岡山城本丸にそびえる天守閣
 豊かな清水をたたえて流れる旭川、日本三名園の一つ「後楽園」を背景にした岡山城は、本丸(城の中心部分、内堀に囲まれた範囲)が、現在も殆ど昔のまま残る。本丸には天守閣・門・塀などが旧来通り再現され、本丸一帯は烏城公園となっている。本丸跡は国史跡。
岡山城の歴史
 備前の国邑久から起こった宇喜多直家(うきたなおいえ)が、岡山の地・石山の城にいた金光宗高を亡ぼして城郭を拡張し入城したのは天正元年(1573)の秋であった。それまでは金川の松田氏に属する小城に過ぎなかったが、直家はこの城を本拠として城下町の経営に着手し、岡山の繁栄の基礎をつくった。その子八郎秀家(ひでいえ)は、豊臣秀吉の殊遇を受け、直家の遺領である備前、美作のほかに備中の内の高梁川以東をも加え、57万石をこえる大領主となる。ここにおいて秀吉の意見に従い、石山の東に本丸を移して城郭の拡張整備を行い、慶長2年(1597)、3層6階の天守閣が落成するにおよんで、城普請は一段落する。これがこの地に豪壮きわまりない石垣と内堀を残す岡山城本丸であって、さらに西南の平地に二之丸、三之丸などが城域を画し、近世城下町の骨格ができあがった。宇喜多秀家は、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに西軍の総大将となって出陣、一敗地にまみれて八丈島へ流された。
 その後小早川秀秋が筑前の国・名島から移って岡山城主となったが、在城わずか2年余りで急死し、後継者がいなかったのでこの家は断絶。そのあと姫路城主池田輝政の二男・忠継(ただつぐ)(徳川家康の孫)に備前一国が与えられ岡山城に入る。以後池田氏31万5千石の時代が続き明治維新に及ぶ。
(文は現地リーフレット及び岡山市遊歩道ネットワークてくてくロードを引用)
内堀
 岡山城本丸の下段には、南から西にかけて、城を取り囲むように内堀が築かれ、ほぼ昔の原形をとどめる。内堀と旭川に囲まれた部分が本丸となり、歴史公園として整備されている。春には約200本の桜が咲き、夏の夜はライトアップで幻想的に園内を彩どり、秋には「菊花大会」など様々な催しが開催される。
    
本段
 天守閣のある上段は「本段」と呼ばれ、城主自身の生活に必要な建物が立ち並んでいた所で、築山や池のある庭園も作られていた。

 宇喜多秀家の築いた天守閣は、石垣からの高さが20、45m、金箔瓦を用いた五層六階の複雑な構造を持つ天守である。外壁の下見板には黒漆が塗られていたので、太陽光に照らされるとあたかも鳥(からす)の濡れ羽色によく似ていたため、「鳥城(うじょう)」の別名がある。その後、国宝に指定されたが、昭和20年(1945)、第2次大戦による市街地空襲で焼失。現在の天守閣は、昭和41年(1966)11月3日、市民の長年にわたる要望で作られた鉄筋コンクリート造りだが、外観は全く旧来通りに再現された。また天守閣の基壇(天守台という)が北に大きく突き出た不等辺五角形という、全国に全く例のない珍しい形をしており、さらに塩蔵を併設した複合の天守閣である。

 後楽園
 
沢の池
 庭園のまん中にある後楽園で一番大きい池。池には中の島、御野(みの)島、砂利島の3つの島が作られている。後方の小高い丘は唯心山(ゆいしんざん)。右奥は岡山城天守閣。

岡山城の北側に旭川をへだてて作られた後楽園
 
後楽園は、備前31万5千石の藩主池田綱政(いけだつなまさ)公が作事奉行津田永忠(つだながただ)に命じ、貞享3年(1686)から14ヶ年の歳月をかけて、元禄13年(1700)にほぼ完成。その面積約13万㎡に及び、江戸初期を代表する大名庭園である。本園の様式は、江戸初期に円熟した池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)の庭園で、園路に沿い回遊することによって移り変わる景色を眺める趣向になっており、又、操山、備前富士の借景を巧みにとり入れている。

 本園の最たる特徴は、明るい芝生に池の広々とした水面の景趣が展開し、築山、植え込み、亭舎などが風雅に配置され、それを縫う曲水、園路の優美な曲線を描き、瀬戸内の風土に調和した景観を構成していることにある。

 この庭の名称は、菜園場(さえんば)、茶屋屋敷、またの名を岡山城の後に造られたことから、御後園(ごこうえん)、と呼ばれていたが、この庭の造られた動機が、藩の政治をうまく治め、国が栄えてしかる後に楽しむという後楽の庭でいわゆる先憂後楽の精神に基づきて造られているところから明治4年「後楽園」と呼ばれるようになり、明治17年に池田家より岡山県に譲られ一般公開された。本園は貴重な文化遺産として「特別名勝」の指定を受け、日本三公園の一つとして、海外に誇り得る名園である。
(文は現地説明板、後楽園なるほど大百科を参照)

唯心山(ゆいしんざん)と岡山城天守
 唯心山は後楽園のほぼまん中にあるこんもりとした築山。園内では最も高い山。

千入(ちしお)の森
 春の芽吹きと、錦織りなす秋の紅葉が美しい楓林(かえでばやし)で、古くから園内名勝の一つです。千入とは幾度も染めるという意味で、築庭当時からこの名が付いている。


慈眼堂(じげんどう)
 池田綱政が元禄10年(1697)に池田家と領民の繁栄を願って建立し、観音像を祀った。今は空堂となっている。境内には、花崗岩を36個に割って組み上げた烏帽子岩(えぼしいわ)、門と仁王像、板張の腰掛などが残る。

花葉(かよう)の池と大立石(おおだていし)
 花葉の池にある大立石は、高さは約7.5m。烏帽子岩と同じく90数個に割って運び、もとのように組み立てた石。池に架かる橋は栄唱橋。



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください