このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

国指定重要文化財(建造物)
熊野神社本殿{第二殿}所在地:倉敷市林指定年月日:大正10年4月30日
五流尊瀧院宝塔所在地:倉敷市林指定年月日:昭和31年6月28日
遍照院三重塔所在地:倉敷市西阿知指定年月日:大正14年4月24日
(追加指定:昭和45年6月17日)
県指定重要文化財(建造物)
熊野神社本殿{五棟}所在地:倉敷市林指定年月日:昭和43年4月19日
尊瀧院ほか四カ院三重塔所在地:倉敷市林指定年月日:昭和49年5月31日
梵鐘所在地:倉敷市林
熊野神社本殿  五流尊瀧院宝塔  三重塔  梵鐘

(現地説明板より。赤字は追記)
 熊野神社は大宝年間(700年頃)に修験道の開祖・役小角(えんの お づぬ)が開いたもので、紀州の熊野に対し新熊野と呼ばれ、かっては一大栄華を極めた由緒あるところ。

熊野神社本殿
 一列に並んだ社殿は、左から第三殿・第一殿・第二殿・第四殿・第五殿・第六殿といい、6棟からなる本殿のうち、第二殿が国重文、他の5棟は県重文。


 左より、南面して建つ第三殿・第一殿・第二殿。この右側に第4〜第6殿が続く。明治の神仏分離まで、日本第一熊野十二社大権現宮と称し、左から3番目の第二本殿(国重文)は明応元年(1492)の再建、他の5棟は、岡山藩主池田光政が正保4年(1647)に再建したといわれる。


国重文 熊野神社本殿(第二殿)

第二殿・第四殿・第五殿・第六殿

県重文の梵鐘と三重塔


国重文 五流尊瀧院宝塔
 延応元年(1239)2月22日、隠岐の国にて後鳥羽上皇が崩御遊ばれたが仁治元年(1240)一周忌に際し、上皇のご供養をするため覚仁、頼仁両親王が御影塔を建てました。応仁の乱においては廟堂・経堂を灰燼にされてしまい御影塔も劫火にさいなまれて現在の姿を残すだけとなってしまった。この宝塔は地盤から宝珠の頂まで5メートル弱ある。

 蟻峰山(ぎほうざん)西側山麓にある熊野神社を中心としたこの地域は、歴史的文化遺産も多く、都市近郊にありながらすぐれた郷土的たたずまいをとどめている一帯。
遍照院三重塔
 遍照院三重塔
  大正14年4月24日 文化財指定。昭和41年1月1日 解体着工。昭和42年7月31日 復元着工。三間三層塔婆本瓦葺。総高22.25米(外周地盤より)

 本塔婆は開山智空上人が寛和元年(985年)に創立し、応永23年(1416年)に智海僧正が再建したものである。建築手法は、和様に唐様を加味し、塔内には本尊として金剛界大日如来を祀る。総じて室町時代特有の手法を遺し、古代建築の華として5世紀に亙り郷土史を飾る。
(現地説明板より)
                  
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