このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 まがね
国史跡 真金一里塚
<岡山市北区吉備津・昭和3年3月24日史跡指定
 江戸時代、主要な街道に築かれた一里(4キロメートル)ごとの道標を、一里塚と呼んでいます。江戸日本橋を起点に一里ごとに塚を築き、榎や、松を植えたものです。織田信長・豊臣秀吉の時にも領国内に築かれたようですが、全国的には、徳川家康・秀忠が1604(慶長9)年、東海道・東山道・北陸道に築かせたのが始まりとされています。
 
 当一里塚は真金村にあったことから、真金一里塚と呼ばれています。岡山城下からは、万成に次いで2番目にあたり、旧山陽道(西国街道)を挟んで塚を二つ築き、北塚に松、南塚に榎が植えられていました(ただし現在の木は後世のもの)。

 現在、周辺の開発が進みつつありますが、近隣の板倉の宿の街並みとともに往時の情景を比較的良好に伝えています。昭和3年に国の史跡に指定されました。なお、岡山県内では備前市香ヶ登、岡山市一日市等の一里塚も、一部その姿をとどめています。
  平成11年3月 岡山市教育委員会
「文は現地説明板より転載」

(上)周辺地図/JR吉備津駅から徒歩5分
(左)真金一里塚前のこの道を、岡山方面に少し行くと、国道180号と合流する。
  そうづめ
国史跡 惣爪塔跡
<岡山市北区惣爪・昭和3年2月7日史跡指定>
 古来「石の釜」と呼ばれている、塔の中心柱の礎石(心礎)である。長径2メートル、短径1・5メートルで、上部に直径16センチメートルの円孔をうがち、さらに、その底に子孔があり仏舎利を納めてあったものであろう。

 奈良時代前期、この礎石の上に建っていた塔のほか、金堂・講堂などの建物がならび、一大伽藍が営まれていたことが想定される。しかし、塔以外の建物の礎石や基壇の痕跡は、周囲の水田の地下げのため、現在は確認する事が出来ない。

 この寺は、「津の臣」の氏寺であったともいわれている。なお、付近一帯は弥生時代の集落跡でもあり、水田の下から貝層や土器その他の建物が発見されている。
 平成14年2月 岡山市教育委員会
「文は現地説明板より転載」

塔の中心柱の礎石(心礎)

足守川沿いの明治天皇惣爪御野立所から見た惣爪塔跡
 後方は、国道180号線・JR吉備津駅となる。


明治天皇惣爪御野立所
 明治43(1910)年明治天皇が大演習を統監された場所。


惣爪塔跡周辺図
 JR吉備津駅から徒歩約10分、距離にして約2Km。

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