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<三の丸〜二の丸〜本丸> | |
【三の丸】 本丸・二の丸を巡る平場。 | |
(写真上)見返り坂 大手門から山上に向かう山道。この先に、三の丸北側の石垣が残る。 (写真右・下)三の丸北側の高石垣 丸亀城の石垣のなかで最も高い所で、20m以上の城壁が続く。隅角部の石垣は算木積みされた美しい曲線美で、扇の勾配とよばれている。 | |
三の丸北側の高石垣 | |
三の丸井戸 山崎氏時代の絵図にある井戸。深さ31間と描かれており、現在は空井戸。 | 月見櫓跡(巽櫓) 後方に微かに讃岐富士(飯野山)が見える。 |
【二の丸】 山上で2番目に高い平場(曲輪) | |
三の丸から見た二の丸搦手 二の丸長崎櫓跡の石垣(左端)と本丸の石垣上に建つ天守。 | |
二の丸石垣 右側に、写真右の入口が位置する。 | 三の丸から二の丸への入口 |
二の丸跡 後方は本丸上の天守と、右端は二の丸井戸。 | 二の丸井戸 丸亀城で最高所にある井戸。現在も水を湛え、城絵図によると深さ36間(約65m)あります。 |
【本丸】 山上の最高所。天守の他に隅櫓・多聞・土塀が石垣上に巡っていた。 | |
二の丸跡から望む本丸石垣と天守 | 本丸石垣と天守 |
二の丸から本丸への通路 | 隅櫓跡から見る本丸の北側部分 |
本丸の南側 左右は隅櫓跡。 | 飾りのない天守西面 高さ2mの石垣上に建つ。手前は本丸北多聞跡。 |
1階北側に設けられた狭間付きの石落し | 2階屋上東西両面に千鳥破風飾付 |
1階屋上南北側面に唐破風付 | 西側にある天守入口 西面を除き1階は腰羽目板張り上部塗籠。 |
丸亀城周辺図 JR丸亀駅より徒歩12分 | 丸亀城より丸亀駅方面を望む 地域別訪問城に戻る |
■丸亀城天守 全国に現存する木造天守12城のひとつ。小さいながらも上品で風格のある白亜の天守。 |
■三の丸から望む天守 手前左の石垣は長崎櫓跡。右下の石段は二の丸搦手。初層の東北隅に、石落しが設けられている。 |
■大手二の門(左)と一の門(右) |
■大手二の門(右)と一の門(左)との間は、南北18m、東西20mの大手桝形(ますがた) 1670年(寛文10)京極氏の時に完成。 |
丸亀城
現存する木造天守十二城のひとつ
層塔型の三重天守が残る
石垣の名城
所在地 | 香川県丸亀市 |
地形種類 | 標高66mの亀山に築かれた平山城 |
別名 | 亀山城 |
築城年 築城者 | 1597年(慶長2) 生駒氏築城開始 1642年(寛永19) 山崎氏改修 1660年(万治3) 京極氏天守完成、城の全容整う |
文化財 指定区分 | 国史跡(城跡) 重要文化財(天守、大手一の門・二の門、東西土塀) 県指定有形文化財(御殿表門、番所、長屋) |
特徴・見所 | ●「石垣の城」と形容されている名のとおり、石垣の美しさで有名 ●天守は全国に現存する木造天守12城の一つ |
<上>3段の石垣上に築かれた丸亀城天守
<左>大手二の門と天守
【丸亀城築城のあらまし】
丸亀城は、播州赤穂から17万6千石の領主として讃岐に入り、高松城を築いた生駒親正が1597年(慶長2)から高松城の支城として丸亀城の築城にかかり、1602年(慶長7)に完成したが、その後一国一城令により廃城となった。
生駒家4代の後、肥前天草郡富岡城主から1641年(寛永18)入城した山崎家治が翌年から修築に取り掛かり城を大改修。その後、山崎氏絶家のため、1658年(万治1)京極高和が播磨(兵庫)龍野から入り、天守を完成、第2代高豊が大手を南側から北側に移すなど城の全容を整えた。11の櫓は明治期にすべて失われたが、天守・大手門などは残された。
<丸亀城は、丸亀平野と備讃瀬戸を一望におさめる亀山公園に建つ>
■1950年(昭和25)に天守が重要文化財に指定。
■1953年(昭和28)に国史跡に指定。
■1957年(昭和32)に大手一の門・二の門、東西土塀が重要文化財に指定。
■1968年(昭和43)に御殿表門・番所・長屋・土塀が復元。
【史跡丸亀城跡(昭和28年国指定・史跡)】
丸亀城は、本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪・山下曲輪があり、東西約540m・南北約460mの内濠内204、756㎡が史跡範囲。
■濠端から望む丸亀城 | |
■山下曲輪 山下の平地を山下曲輪と呼ぶ。 | |
内濠の北側中央部に位置する大手一の門と二の門 手前の櫓門が一の門、奥の高麗門が二の門。 | 大手桝形の笑積(わらいづみ) 巨石(鏡石)の周囲を多くの石で取り巻いて積み、見せ場となる。 |
濠端から見た山下御殿跡 後方は天守。 | 本丸から見た山下御殿跡 L字型の建物が、御殿表門、番所、番所長屋。 |
大手門と山下御殿を結ぶ廊下橋(土橋) 左右に目隠し土塀を設けている。 | 石垣の窪んだ奥が廊下橋 城外から見えないように目隠しの土塀が築かれている。 |
御殿表門・番所・御駕籠部屋・長屋 (昭和38年県指定・有形文化財) | 御殿表門 御殿表門は藩主居館の正門。薬医門形式の建物で玄関先御門ともよばれる。 |
御殿表門(右端)に接して番所・御駕籠部屋・番所長屋が並んで建つ | 丸亀城南側に位置する搦手口 手前の橋はときわ橋(石橋)。橋を渡った所が搦手門跡。山崎氏時代の大手。 |
▼元禄年間(1688〜1703)における丸亀城絵図
▼亀山公園(史跡丸亀城跡)案内図
(写真上左・右)「大手二の門」左右の狭間塀(さまべい)。
矢狭間、鉄砲狭間が設けられている。
(写真左)城内側から見た狭間塀。
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