このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

所在地
■福井県坂井市丸岡町霞町

■交通アクセス
JR北陸本線福井駅前から京福バス本丸岡行きで約35分、丸岡城下車すぐ。
なお、福井駅に戻る場合も同じバス停。
    
■駐車場
霞ヶ城公園の「一筆啓上茶屋」前に無料大型駐車場あり。

地形
■本丸を山上に置き、周囲の平地に二の丸や三の丸を配置する平山城(写真は西側登城口)

 

写真左の石段に建つこの城碑は、昭和9年の国宝指定を記念し、同17年に霞城保存会が建立したが、その後、福井大震災で倒壊し、同30年に竣工したが、同25年の「文化財保護法」施行により現在は国指定重要文化財となっている。

縄張

▲丸岡城下略図(現地説明板より)
天守閣の東(天守閣の右下)に「東の丸」、北(天守閣右)に「二の丸」を設け、周囲に五角形の内濠を巡らし、河川を利用して外濠とした。慶長18年、本多成重が城主となって城郭を完成し、続いて武家屋敷を配置し、寺院・民家を整備して城下町を形成した城内には櫓・門・役所・長屋などがあり有馬時代には領内の統治が行き渡って藩政の中心地となった。

ちなみに、略図に記されている●西三の丸の場所はバス停「丸岡城」が立つ所で、内濠の西側、丸岡城追手(大手)門前の三の丸で、現在の霞町一、二丁目のあたりである。ここには藩の重臣の屋敷が並び、御役所もあった。



▲復元イラスト(現地説明板より)
五角形の内濠(幅・最大91m)に囲まれた中に、本丸・二の丸が配置され、内濠の外には三の丸が四周を囲む。現在では、本丸のみを残して内濠も埋立てられ、本丸周辺は市街地となり、城山を巡る道路の形状に五角形の濠の面影が残る。


現状

▲霞ヶ城公園図
城域一帯は日本庭園式の公園として親しまれ、四百本余の吉野桜が植えられ、開花期の花の霞に浮ぶ城の眺めは、「霞ヶ城」そのものである


▲一筆啓上茶屋
手前は無料の駐車場。茶屋の右側を入ると霞ヶ城公園となり、歴史民族資料館、天守閣への登り口へと至る。

▲公園内の景色

▲公園内の歴史民族資料館
天守閣へは、資料館右手の石段を上がって行く。

■丸岡城天守
現在は、望楼型天守と天守台石垣が残る。
写真は4月に行われる丸岡城桜まつりの様子。

丸岡城のある霞ヶ城公園は、桜の名所100選に選ばれている。

遺構
■井戸「雲の井」周辺の石垣
天守下にある井戸「雲の井(右端の屋根のある所)」のあたりは福井大震災のときでもくずれなかったといわれている。

丸岡城は、明治3年3月、版籍奉還後、同4年9月官有となり、さらに民有に移り、明治34年8月町有となる。

その間、濠は埋められ、城門、武家屋敷等の建物は売却または譲渡され、現在わずかに天守閣とその附近の石垣の小部分を残存するだけとなった。
■天守(南面)
福井大震災で倒壊したが、できるかぎり古材を活用して昭和30年(1955)に再建された。丸岡城{別名・霞ヶ城(かすみがじょう)}の天守は、現存する12の天守のうち、最古のものと称されている(慶長後半以降の建造の説あり)

現在では、天守以外の遺構はほとんど残っていない。

天守1階は、塗籠め、下部を下見板張とし、出格子(出窓)と突き上げ戸(近代の仮設)がある。2階には切妻破風、3階には回縁(まわりえん)が設けられている。
■本丸跡
天守入口から見た本丸跡。ここには、本丸御殿、櫓などがあった。

本丸

▲天守閣へ至る石段
「歴史民族資料館」右側の天守閣へ上がる石段登り口。石段道筋には「一筆啓上賞」と題して手紙文の公募をおこない、入賞した作品が掲示されている。


▲券売所
後方は天守。入場券300円(天守と歴史民族資料館への入場共通券代/平成22年6月現在)

▲天守周辺の石垣

▲伝説「人柱お静」
柴田勝豊の築城時、天守閣の石垣が何度積んでも崩れるので人柱を入れることになり、息子の出世を約束に人柱となったお静の悲話を刻む。「堀の藻刈りに降るこの雨は いとしお静の血の涙」という俗謡が伝えられている。


▲丸岡城保存修理工事暴露試験実施

▲鯱(石製しゃち)
天守台石段わきに置かれたこの鯱は、もと木彫銅板張りであったものを、昭和15年〜17年の修理の際に、石製の鯱に改めたもので、その当時は戦禍中で銅板の入手が困難であったため、やむなく天守閣の石瓦と同質の石材で、つくりかえられたものである。この石製の鯱も昭和23年6月の福井大震災により、棟より落下、現在の様な形で残っているものである。現在天守閣の上にのっている鯱は、昭和27年〜30年の修復時に、もとの木彫銅板張りに復元した鯱である。


【写真上】
天守下にある井戸「雲の井」〜天正3年(1575)織田信長が越前の一向一揆を平定後、伊賀守勝豊が豊原からここに移り築城した。豊原は一向一揆の最後の根拠地であった為、この地に築城後も一揆の残党が攻撃をしかけてくることも、しばしばであった。しかしそのたびごとに、この井戸より大蛇があらわれ、城に“かすみ”をかけて城の危機を救った。この伝統が別名「霞ヶ城」と呼ばれる所以である。

【写真右】
「一筆啓上」書簡碑〜徳川家康譜代第一の功臣で鬼作左の勇名をとどろかせた本多作左衛門重次が陣中から妻にあて「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」と書き送った話は有名である。文中のお仙とは嫡子仙千代で、後の福井城主結城秀康に仕え、数度の戦に武勲を立て丸岡城6代目の城主となった本多成重のことである。この書簡碑は天守閣石垣の東北端に建てられている。

天守

▲丸岡城天守(北東面)
丸岡城は、北陸唯一の天守を有する城。


▲天守西面
初層の入母屋(いりもや)屋根の上に望楼を載せた形式。3階には天守の初期形態を示すとされる回縁をめぐらす。


▲野面積みの天守台
天守1階中央の出格子(出窓)は、石落し装置が設けられている。

▲天守入口付近の様子
左側の石段を上がったところが天守入口。


▲天守下からみた南東面


▲丸岡城天守(東面)
天守東面に設けられた天守入口と、天守入口への石段。


写真上】
天守1階内部〜左より箱狭間、突き上げ戸、出格子(出窓)
【写真右】
箱狭間〜鉄砲用と弓射用の箱狭間が交互に設置されている。


▲出格子(出窓)の石落し
石落しは櫓の隅、天守の最下層塀の途中に設け石垣をよじ登る敵勢を射落とす仕組みである。石垣より建物の一部を出張らせ、敷板をはずすと石落しになり、ここから石を落下させたり、弓鉄砲を射った。


▲天守1階から2階へ上がる階段
階段は、ロープにつかまらないと昇り降りできないほど急な角度で造られている。

▲天守2階内部


▲天守3階内部

▲天守3階天井部分

▲天守三階内部
回縁(まわりえん)は、3階内部からみると窓の外にある。回縁の床も3階内部より高くなっている。

▲回縁
回縁は見せ掛けで、外にでられない飾り。


▲笏谷石(しゃくだにいし)の天守屋根瓦
笏谷石は、福井市足羽山(あすわやま)や一乗谷付近で採石される。


丸岡城周辺
【写真左上】
十日講から望む丸岡城天守

【写真右上】
十日講境内の家老有馬天然屋敷跡庭園(市指定文化財 史跡)
今日、城下町の面影をしのぶものはほとんど見られなくなったが、幕末以降この屋敷跡庭園は寺院の境内として引継がれたため、昔の姿をよく残している。

【写真左】
タブの木(市指定文化財 天然記念物)
このタブの木は、古くからこの地に育っていた。国神神社がこの地に移されてから神木とされ、周囲に柵をめぐらし「牛馬つなぐべからず」の禁札が立てられていた。
昭和23年の福井大震災のため、神社境内の数百年を経た大杉・大銀杏・大けやきなどが焼失したが、唯一このタブの木のみ焼失を免れた。今も注連縄(しめなわ)を締め、神木として大切に保存されている。

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【沿 革
 天正3(1575)年、織田信長は北陸地方の一向一揆を平定するために大軍を派遣し、当時丸岡の東北4kmの山中にあった豊原寺(とよはらじ)を攻略し寺坊を悉く焼き払った。信長はこの恩賞として柴田勝家に越前之国を与え、守護職とし、北ノ庄(きたのしょう/今の福井市)に築城を命じた。勝家(かついえ)は甥の勝豊(かつとよ)を豊原に派遣し豊原城を構えたが、翌天正4(1576)年、豊原から丸岡に移り城を築いた。これが現在の丸岡城である。

 勝豊以後、安井家清(いえきよ)、青山修理亮(しゅうりのすけ)、同忠元(ただもと)、今村盛次(もりつぐ)、本多成重(なりしげ)以下4代、有馬清純(きよすみ)以下8代の居城を経て明治維新となった。大正中期より昭和の初期にわたり濠は埋められ、現在は本丸と天守閣と僅かに石垣を残し城域は霞ヶ城公園となっている。昔の城郭は五角形の広い濠を有し外郭に侍屋敷を配地し、さらに河川を利用し外濠を設け寺院民家を包容し城下町を形成していた。

 丸岡城は現存する天守閣の中で最も古い建築で、外観は上層望楼を形成して通し柱がなく、一層は二階三階を支える支台をなし、屋根は二重で内部は三階となっている。又、屋根が全部石瓦で葺かれているのが全国にも稀な特徴である。このような古調に富んだ望楼式天守閣は後の時代の松本城、彦根城、姫路城など層塔式天守閣と比較すると、いかに城郭建築の初期のものであるかがうかがえる。昭和9年国宝に指定されたが、昭和23年福井大震災により倒壊した。昭和25年重要文化財の指定を受け、昭和30年に修復再建された。

(文は現地リーフレットより)

▲丸岡城天守(元国宝。現在は国指定重要文化財)
野面積の天守台石垣と二重三階の望楼型天守。修復再建された現存最古の天守。

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