このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


農村景観百選
三須作山

 
総社市上林地区の田園風景〜三須地区と同じくこのあたりもかつてはい草の生産地であった。しかし、い草産業も昭和40年代になると、生活様式の変化、水島地区をはじめとする大規模工業の発達、農家が兼業化、さらには安価なPP製のものや海外製のものが流通し、しだいにい草産業は衰微し、昭和50年代に入ると、急激に栽培農家や畳表生産者は減っていった。

 ■農村景観百選(美しい日本のむら景観百選)は、農村地域の活性化を目的として農林水産省が1991年度(平成3年度)に選定した農村としての美しい景観の百選。総社市三須・上林地区に於ける農村景観の特長は下の写真に代表される。
 地元の方に聞くと、現在では、総社市におけるい草栽培農家は無く、したがってい草も生産されていないとの事。現在、この風景は、貴重な歴史的景観であり、この風景が農村景観百選に選定された。
(写真は「まちかど郷土館(所在地:総社市総社)」展示パネルより)

        
藺草(いぐさ)の植え付けから刈取りまで】

 藺草の栽培は、氷の張るような水田で植え付けをして、炎天下で刈取をし、農作業では最も厳しいといわれている。

藺苗(いなえ)割り〜藺苗株を6〜8本位の大きさに割り分け、初冬に藺草を植付ける。

植付〜
田に水を溜め、植付けの前日に代掻きをして、株間は約1メートルに6株位の間隔で植える。年末までに植付けが終わらないと生育が悪くなる。

先刈〜5月中旬頃、地上から35センチメートル位の所で刈取り、その新しく出た芽を草丈長く育て収穫する。

施肥〜肥料は集中して施し一気に成長を促進させる。

刈取
〜本格的な夏のおとずれを待ち、7月上旬〜8月上旬に刈り取る。短い藺草は振り落して束ね、積み重ね覆いをして日光の直射を避ける。

泥染
〜夕方を待ち、田の中央に掘った染め壷に、洗土を水に溶かした「染め泥」に藺草束を浸して染める。これは藺草の乾燥を促進し、畳表の緑の光沢を保つためである。

乾燥〜翌日、晴天を視重して、夜が明けるまでに田に広げて乾燥する。均等に早く乾燥させるため昼間2回表裏をかえし、午後4時頃には束ねて積み込む。翌朝、露が消えた頃から半日、表裏をかえして乾燥させ、束ねて納屋などに収納する。
(「まちかど郷土館」解説パネルより)


倉敷市下庄地区のい草生産地
 昭和30年代後半、岡山県は「い草王国」と呼ばれ、日本一のい草生産地であった。い草作付面積は、全国作付面積の52.2%を占めていたが、今では全国生産量の0.01%である。倉敷市が岡山県では唯一のい草栽培地として存続。


い草製品(備中国分寺五重塔の南にある「吉備路もてなしの館」にて)
 
現況■


総社市三須・上林周辺(い草全盛期生産地帯)の地形模型(サンロード吉備路観光案内所展示模型に加筆して掲載)
 この地域は、昭和47年1月11日に「吉備路風土記の丘県立自然公園」に指定。大和、北九州と並び栄えた古代吉備王国の中心地の一つ。歴史、文化、自然のロマンがあふれる田園地帯には、五重塔や古墳などの歴史・文化的遺産が多く点在する


備中国分寺五重塔付近から望む上林・三須地区と作山古墳
 今では「い草」栽培は全く見ることはできないが、春には、地元の人々の努力で桃・菜の花・レンゲが、秋には稲穂が垂れ、史跡と田園風景の調和が見事に現出する地域となっている。


吉備路風土記の丘県立自然公園マップ


黄金色に輝く稲穂(作山古墳付近)

畑作業(五重塔付近)


備中国分寺五重塔周辺のレンゲ畑
 レンゲが満開になる毎年4月下旬には、「吉備路れんげまつり」が行われる。


備中国分寺周辺で開催

備中国分寺五重塔の一般公開
 「吉備路れんげまつり」にあわせて公開され、1階部分が見学できる。

かつてのい草栽培地をつらぬく吉備路自転車道
 総社から岡山方面へ延びる全長約21kmのサイクリングロード。



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