このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
三石城
三石城跡を巡る | |
JR山陽本線「三石」駅から徒歩5分、町筋の真ん中辺りにある登山口。 本丸までは約50分かかります。 なお、階段下、民家の軒先に「三石城の栞(しおり)」が置いてあります。 | |
第二見張所 登山口から約5分で着きますが、登山道は、人一人が通れるだけの樹木の生い茂った険しい道です。 | |
「息つぎ井戸」の標識が立っていますが笹に覆われていて良く確認できません。 | |
「千貫井戸」の標識の先に井戸跡があるようですが、藪椿が茂っているため行っていません。 | |
第一見張所 急峻な細い山道を30分程登ると分岐点があり、「第一見張所」「本丸跡への近道」の標識が立っており、左に進むと第一見張所がある。 | |
大手口 三石城最大の見どころである大手曲輪に残る大手門跡の石垣。 小ぶりな山石を積み上げたもので高さは2〜3m、この虎口石垣に囲まれた空間を桝形という説もあるが、感状山城や天神山城に共通する埋門形式で、橋頭堡状に塁壁を張り出させたものと考えられる。 (「三石城の栞」より) | |
馬場跡 馬の調教をする場所として使用された。 | |
三の丸跡 | |
二の丸跡 尾根上に造作された削平地。 | |
本丸跡 本丸は山頂部にあり面積は約500坪。上部構築物は痕跡もなく瓦も出土していないが、ここで出土した備前焼大甕の破片が備前市歴史民族資料館に展示されている(未訪問) | |
堀切 本丸から北に伸びる尾根の鞍部に設けられた、本丸と鶯丸(出丸)を区切る堀切。北側(左)が鶯丸跡になる。 | |
間道 堀切の谷底道。谷底道を奥に進むと大手門跡へ行きます。 | |
鶯丸跡 本丸から北に伸びる尾根に設けられた二段の腰曲輪を施した出丸。搦手に相当するものと考えられる。 | |
林道終点の駐車場 鶯丸から本丸方向へ戻らずに、さらに北へ行くと約20分でこの場所にたどり着きます。道は遊歩道が整備されています。 車を利用の場合は、ここまで来れます。 |
町内地図(現地案内看板に加筆・転載)
■登城口看板の所が、三石城周辺図の登城口Aになる。車の場合は、GSを左折する。下の左側写真がGSの場所。
三石城周辺図のC地点の所。
三石城周辺図のD地点の所。町内地図では、ガソリンスタンドの所。「深谷の滝」案内標識があり、左に曲がる。
城跡から見た三石市街。三石地区は、岡山県最東部で兵庫県と境を接する山間の盆地。
JR山陽本線「三石」駅。
三石城周辺図の登城口Aにある案内標識。ここから城跡まで約50分です。下の町内地図では、■登城口看板のところになります。
(城跡説明案内板に加筆・転載)
【交通ガイド】
▼三石城の見どころである大手門址石垣
周辺の見どころ |
備前市指定名勝 |
所在地 | 岡山県備前市三石 |
地形種類 | 標高291mの天王山山頂に構築された中世の山城跡 |
築城年 | 元弘3年(1333) |
築城者 | 伊東大和二郎 |
文化財指定区分 | 岡山県指定史跡(昭和45年3月27日) |
遺構 | 本丸、二の丸、三の丸、鶯丸、大手曲輪、大手口石垣、土塁、堀切、井戸 |
【三石城地図】 |
【三石城の沿革】 三石城は元弘3年(1333)地頭の伊東氏により築かれたと「太平記」にある。その後、浦上宗隆が備前守護代として入り、以後浦上氏の拠点となった。浦上氏は、村宗の代に備前東部から播磨西部にかけてを領するまでになったが、その死後領地が二分され、備前東部を受けついだ宗景が享禄4年(1531)天神山城へ移り、三石城は廃城となった。 城内には、当時の遺構が良く残っており、頂上部の本丸(標高291m)から南西に二の丸・三の丸がのび、本丸の北側には堀切をはさんで独立の曲輪(鶯丸)がある。本丸の南西側面には大手曲輪が設けられ、当時の石垣が良く残っている。二の丸・三の丸の北側にそって馬場があり、一段下の大手曲輪との間に池が設けられている。城内には7基の井戸があり、特に三の丸の南にある井戸は「千貫井戸」と呼ばれ常に涸れることがない。 また、城の外郭線の山陽道側には二箇所の見張所があり、外敵の侵入を監視するようになっている。城内から、当時使われていた備前焼大甕や小皿片が出土しており、その一部が備前市歴史民族資料館に展示されている。(地図と文は城跡説明板より。地図は一部加筆の上掲載) |
三石城周辺図の登城口Bの林道終点の駐車場。
深谷の滝〜源を石塔山に発し渓流となる。垂直直下すること13m、幅3m瀑布となる。
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