このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 みょうぜんじ
明禅寺城 岡山市沢田

  (現地案内板より転載)

【明禅寺城 概略】
宇喜多直家が、1566年(永禄9)に築城。操山につづく標高169mに築かれた山城。

 明禅寺城は、1567年(永禄10)、宇喜多直家と三村元親が争った明禅寺合戦の古戦場。この合戦後、宇喜多氏は勢力を伸ばしていった。三村元親は、備中松山城主・三村家親の子で、家親は、1566年(永禄9)、美作の興禅寺において、宇喜多氏の刺客に狙撃され殺害されている。あとを子の元親がついだが、明禅寺合戦で宇喜多直家に敗れる。しかし、1571年(元亀2)には、当時、備中松山城主だった荘高資(しょうたかすけ)を攻め、備中松山城主となる。

■城跡から見た岡山市街
■百間川の眺め(明禅寺城跡より) 日本の自然百選の一つである百間川は人工河川で、 旭川放水路ともよばれ、旭川の氾濫から岡山城下を 守るため、江戸時代初期に岡山藩主池田光政の命令 により築造。設計・施行は側近の津田永忠。
◆㊧城跡へ行くルートは他にもありますが、里山センターそばの登り口より行きました。この道の突き当りです。写真右には里山センター、左には駐車場があります。 ㊦ここが登り口です。

▼明禅寺城周辺図

▼頂上の明禅寺城跡

▼山頂まで登りやすい道が続き、城跡まで徒歩約20分。

操山公園里山センター

操山公園里山センター(山裾の建物)後方の山頂に築かれた明禅寺城跡を望む

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