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みょうぜんじ
明禅寺城 岡山市沢田
(現地案内板より転載)
明禅寺城は、1567年(永禄10)、宇喜多直家と三村元親が争った明禅寺合戦の古戦場。この合戦後、宇喜多氏は勢力を伸ばしていった。三村元親は、備中松山城主・三村家親の子で、家親は、1566年(永禄9)、美作の興禅寺において、宇喜多氏の刺客に狙撃され殺害されている。あとを子の元親がついだが、明禅寺合戦で宇喜多直家に敗れる。しかし、1571年(元亀2)には、当時、備中松山城主だった荘高資(しょうたかすけ)を攻め、備中松山城主となる。
▼明禅寺城周辺図
▼頂上の明禅寺城跡
▼山頂まで登りやすい道が続き、城跡まで徒歩約20分。
操山公園里山センター
■操山公園里山センター(山裾の建物)後方の山頂に築かれた明禅寺城跡を望む
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