■津山市加茂町物見(岡山県側の峠の登り口)は、中国山脈に囲まれた岡山県最北部に位置し、その東部県境に物見峠がある。杣(そま)といえば、樹木を植えつけて材木をとる山を意味するが、物見峠周辺はまさに杣山。町の形容にたがわず一帯は、杉、ヒノキの美林である。
■この峠の歴史は比較的新しく、これといったエピソードの少ないなかで、大正時代に編纂された「上加茂村誌」の記述に、峠にまつわる話が伝えられている。物見峠のいわば“誕生”を記したもので、それにはこう伝えている—「北村嘉平、物見の人。通称嘉平。明治7年、作因(作州・因幡)の国境にある物見峠を開削して新に路線を開き、津山・鳥取間の交通の便を図りし者なり。嘉平、工を始めて数百日不撓不屈、一日の如く其の間開削に孜孜奮闘せり。故に衆民之に感じ力を添へ、之が竣工に援助する所となりて之を開通せり。仍て当時の県知事、千坂高雄より其功を賞せられ木杯一個を添へ表彰せらる。尚、明治十六年十月、宮内省より民情視察として派遣せられたる高辻侍従に、通路開削発起者として謁を賜はれり」。
■杣人の汗で築いた峠道はやがて県道に昇格。すぐ東の黒尾峠に国道53号が開通するまでは陰陽を結んだ主要ルートであった。杉木立の直線、峠道のえがく曲線—この美しい構図の中に物見峠百年の歴史があった。
(文は山陽新聞に連載された記事「峠(昭和52年8月15日版)」を参照)
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国道53号線の津山市野村から分かれる「主要地方道・津山智頭八東線」を鳥取方面に北上。戦国期の山城、草苅氏の居城だった矢筈城のふもと河井地区に標識が立つ。智頭20Km、物見3Km、阿波4Km。物見峠は、そのまま右の渓谷を進む。車で5分余り、岡山・鳥取の県境に至る。ここが物見峠。
(図は山陽新聞「峠」より引用追記し転載) |
矢筈城跡とJR因美線美作河井駅(左端の建物)
道路は、(主)津山智頭八東線。津山からすべて舗装。人ひとりの山道だった江戸期は、しのぶべくもないが、植林の中をぬっていく峠は今も山のにおいが強い。
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物見峠県境(岡山県側)
舗装の峠道は、谷を眼下に山腹を走り、まったく面目を一新する。明治9年以来、改修を重ねているが、さすがに近年、現代化が著しい。峠の頂は、ずばりと切られ、昭和40年代にまだ、乗用車1台がようやくだった道幅も、すれ違いが十分にできる。まさに現在の峠である。
(文は津山朝日新聞社刊「作州のみち 峠・木地師の道」を参照)
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物見峠県境(鳥取県側)
県境の右側に高さ2m、幅24㎝の石柱「県界境」が立つ。
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