このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

本太城址
(倉敷市児島塩生)
 
本丸には低石垣が廻る


本太(もとぶと)城址全景
水島に望む天神ヶ鼻という岬にあり、海面より43mの高さにて三方を海に囲まれた海城。現在、本太城址周囲は水島臨海工業地帯として発展。


水島臨海工業地帯
倉敷市南部高梁川河口の三角州と沿岸一帯の埋め立て地に形成された工業地帯。

{本太城の概要}

倉敷市児島塩生の海中に突出せる天神ヶ鼻の半島部にあった中世の城。築城年代は不明だが、西国の雄大内氏が東瀬戸地方進出の拠点として利用したようである。文献上に見える城主は源政縄・政吉兄弟と能勢修理の3人。

特に能勢氏時代の1571年(元亀7)四宮城主(玉野市日比)四宮隠岐守、香西城主(香川県)香西駿河入道宗心の連合軍を この城で破った″本太合戦″は有名。この合戦後、能勢氏は宇喜多氏に属した。

城跡は、天神ヶ鼻の主要部分を東端に深い堀切をつくって切り離している。現在も本丸跡にはわずかに石垣が残っている。

<訪城日〜2016年2月。文は岡山県大百科事典、その他より>
 
 本太城址への行き方
信号「広江一」を南下し、しばらく国道430号線を進む。そして信号「宇野津」を過ぎて、すぐ次の信号を右折。右折後、道は二股に分かれるので、国道430号側の集落へ向かう道を数百m進むと、右にゴミステーションが有り、その先が写真①(左下)の場所となる。

<登城の心構え>
本太城址への登城道は、麓から途中までは舗装されていますが、その後は、本丸まで道幅の狭い尾根上の道となり、その上、草木が生い茂り、足に絡みつき歩行困難な道となります。さらに尾根の両側は断崖絶壁です。登城の際にはそれなりの覚悟と服装が必要です。
 
写真①。右に曲がった所が右写真
 
登城口。左手に城碑が建つ。本丸までは約1kmぐらいですが、途中からは道が整備されておらず登城難易度は高くなります。左下写真へ続く


本太城址への登城口。しばらく進むと右写真の場所に出る。なお、この周辺と城址辺りには、城見学用の駐車場はありません。また、別ルートとして採石場の所からも行く道があり、ここから登った道と合流します。

 
右斜めに進む。左下写真へ続く。

舗装された道が続く。この先は右写真となる。

ここを通り過ぎると左写真の所となります。道は整備されていない険しい尾根道となり、右手には採石場があります。


城址北側の尾根上の両側は断崖絶壁で、一人歩くのがやっとの道幅。傾斜が緩やかであることが唯一の救いです。ここから先は右写真へと続きます。

尾根はブッシュで覆われているため、足元を取られるので転倒に注意しながら登って行きます。草木で見えませんが、当然この辺りも両側は断崖絶壁です。案内板は無く、とにかく頂上を目指して海側へと進んで行きます。


(上)落葉で足が滑るので、周りの小枝を掴んで頂上を目指します。このすぐ上が本丸跡です。

(右)本丸に残存する石垣。この石垣を見ると登った苦労も吹き飛びます。


     

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください