このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

国指定史跡
村上城跡
 
城下からもよく見える本丸石垣<右端が天守台>

【所在地】新潟県村上市ニ之町
【アクセス】羽越本線村上駅より徒歩約25分。再訪問時(平成30年10月)は、まちなか循環バス あべっ車を利用し、村上小学校前で下車、追手門跡から村上城を訪城。また駅レンタサイクルも有り。
   
   (現地案内板に追記し掲載)


村上城追手門跡
 「大手門」とも呼ばれ、この門は城に入る正門である。その規模は、城中でも最大のものであった。場所は、村上小学校の南西隅にあたり、右奥の建物は村上市役所。

村上城下渡門跡
 元和6年(1620)堀丹後守直竒によって築かれた村上城の遺構のひとつで、二の丸の東北方面を守備するための門である。門をくぐった郭内には、城主の居館や政務機関、重臣の邸宅がならんでいた。
 別名「勘定門」と称したこの門は、2棟の二重櫓が付属し、河岸段丘を巧みに利用して建てられた。

【別 名】本庄城(ほんじょうじょう)、舞鶴城(まいづるじょう)
【地形種類】 標高135mの臥牛山(がぎゅうざん)に築かれた平山城
        
        村上駅前ロータリーから望む村上城本丸石垣。村上市役所辺りからは良く見えます。

      
【文化財指定区分】国指定史跡(平成5年6月8日指定)
【沿 革】
 村上城跡は標高135mの臥牛山を中心に広がり、築城年代は16世紀初頭と推定される。城主は国人領主の本庄時長であり、以降、房長・繁長と戦国期3代にわたる居城となる。
 慶長3年(1598)、加賀小松より、国替えでこの地に入った村上頼勝(むらかみよりかつ)が大改造を加えたが、元和4年(1618)に改易になり、続いて徳川譜代の堀直竒(ほり なおより)が10万石で入封し、縄張を行い、山上の曲輪を拡張し、石垣を築くなど、それまでの中世的な城を近代城郭へと変貌させた。
 総構えの規模は、南北1.4km、東西2.3km。山上は本丸、二の丸及び三の丸から成り、西側山麓には城主居が配され、東側には大小の曲輪が設けられていた。
 慶安2年(1649)、譜代の松平直矩が15万石で入封すると、家臣数の増加に伴い、再び城と城下の改築に着手する。現存する石垣の多くが、このとき積み替えられたものと推定される。3層の天守がその偉容を誇っていたが、天守は寛文7年(1667)に落雷によって焼失し、以後、建立されなかった。
 現在は、臥牛山上の本城の諸曲輪や門、天守、櫓の跡がよく原形をとどめ、とくに300有余年の風雪に耐えた高石垣は、当時の石工技術と力学の結晶である。

 ◆村上城跡◆
村上城跡案内図(現地説明板より)


近世城主居館跡
 この右手に、右写真の一文字門跡が位置する。

一文字門跡
 居城・本丸の入口としての門であり、山頂の城郭に行くには、一文字門を通らなければならず、城攻防の最後の拠点となるところであった。一文字門跡の後ろが七曲道の登り口。
 

七曲道(ななまがりどう)
 麓から山頂まで約20~30分。


四ツ門跡周辺の石垣
 七曲道を登りきった辺りには三の丸、二の丸の曲輪が築かれており、この先が四ツ門跡。

四ツ門跡
 七曲道からの虎口となり、入って左に行くと三の丸、右に行くと二の丸、御鐘門跡、本丸へと続く。さらに直進すると中世遺構散策コースに至る。

四ツ門跡
 城内(二の丸側)から見た四ツ門跡。写真には写っていませんが、石垣の右奥が三の丸跡となり、ここから三の丸に残る靭櫓(ゆきやぐら)跡、玉櫓跡に向かいます。


靭櫓跡
 
櫓台が残るも樹木等で全体が見えない。

玉櫓跡
 この後は、中世遺構散策コースへ行きます。


中世遺構散策コース
 三の丸訪問後は、御鐘門跡~二の丸~黒門跡~本丸のコースではなく、中世散策コースをたどり本丸を目指します。

千荷井戸
 井戸のあるこの辺りが、「馬冷し場」と呼ばれる水の手になる。


坂中門跡
 樹木が生い茂っているので判然としません。

帯曲輪
 帯曲輪は、斜面に造られた数段から成る細長い棚状の施設。城の本丸と麓を結ぶ帯状の曲輪。


埋門跡
 埋門跡を過ぎると、本丸になり高石垣が待ち受ける。


本丸の高石垣

冠木門跡
 本丸への虎口です。


本丸上から見た冠木門跡

本丸跡
 手前は冠木門の櫓台、奥のわずかに見える石積が天守櫓跡。


天守櫓跡
 かつては三層の天守が偉容を誇っていたが、天守は、寛文7年(1667)に落雷によって焼失し、以後、建立されなかった。現在は、臥牛山上の本城の諸郭や門、天守、櫓の跡がよく原形をとどめ、とくに300有余年の風雪に耐えた高石垣は、当時の石工技術と力学の結晶である。


天守台


本丸から見た出櫓跡
 前方の出櫓跡右側のブルーシートは、発掘調査中の現場です。このあたりは黒門跡となります。


出櫓跡(石垣右奥)
 黒門跡から見た出櫓周辺の石垣。石垣下の通路は、右奥に下ると二の丸へ、手前に上がると本丸へと通じ、細長く道が造られており、発掘調査中のブルーシート右側は急崖となっている。


黒門跡
 左上の石垣は出櫓跡、石垣下は通路。二ノ丸から本丸へ侵入してくる敵は、出櫓と黒門から一斉攻撃を受けることになる。ましてブルーシート右側は、急崖となっているので敵は逃げ場を失うことになる。

二の丸側から見た黒門跡と本丸石垣
 ブルーシート上が黒門跡、上方は本丸石垣群。右側の石垣は出櫓跡。


出櫓跡
 二の丸から望む出櫓台と後方の本丸石垣。ここから四ツ門跡へと下って行くと御鐘門跡に至ります。


御鐘門跡
 本丸、二の丸側から下って来た時に見える御鐘門跡の様子。

御鐘門跡
 H12年からは、破損がみられる石垣を積み直す修理工事が開始され、現在も継続して工事が行われている。


御鐘門跡
 四ツ門跡から二の丸へ進んだ時の、御鐘門入口附近の状況。
村上城の復原予想図(現地説明板に一部、追記)
 
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