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◎上の周辺図、車の絵のある場所の様子。この橋を渡って進むと、右の写真、鳥居に行きます。
沿革
長良山城は、室町時代の初めの建武年間(1334〜1338)のころに、有力な国人の一人世瀬川左衛門入道祐隣が築いた城と伝えられている。
当時、この辺りの服部郷を治めていたのは、後に姓を「禰屋(ねや)」と改めた祐隣といわれている。別名を八幡山城とも呼ばれ、現在、北の郭跡には八幡神社があり、また南の郭跡には石鎚神社と碑が建っています。
■丘陵の北と南にある二つの頂を結ぶような形の標高40m、比高30mの頂上部分に長良山城はあった。城郭の位置は、はっきりしませんが、どちらの部分にも城郭のものと考えられる石垣が残っています。北頂部(岡山県立大学側)が北の郭跡、南頂部(国道180号線側)が南の郭跡とされ、北頂部の北の郭跡にある八幡宮の背後、北西端に石垣が残っています。南頂部の南の郭跡に残っている石垣は、くずれ落ちこわれているとのことです(未確認)
長良山城から望む鬼ノ城
『長良山城周辺図』
◎鳥居をくぐって行くと、北の郭跡に着く。
※参考文献
わたしたちのふるさと「総社」 歴史と文化財
総社市教育委員会刊
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神社の背後の北西端に残存する石垣。
石垣を見上げる場所が見当たらず、また降りる所もなく、残念ですが石垣上から撮りました。
ながらやま
長良山城
岡山県総社市長良
【左上】北の頂上部(北郭)
【右上】南の頂上部(南郭)
【左】 北と南を結ぶ道。麓から山頂への道もこのように整備されています。
◆北の郭跡に残る石垣
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