このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



今帰仁城跡登城口<後方は大隅(うーしみ)北側の石垣(城壁)と平郎門(へいろうもん)

■世界遺産

 2000年12月2日、今帰仁城跡は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして、ユネスコの[世界遺産条約]に基づく世界遺産リストに登録。
■今帰仁城跡
 かつて琉球に統一王国が樹立する以前の三山時代(北山(ほくざん)中山(ちゅうざん)南山(なんざん))北山王の居城として「今帰仁城」が築かれ、沖縄本島北部(山原(やんばる))の政治、経済、文化の拠点となったグスクである。
 今帰仁城は15世紀初頭まで隆盛を極めるが、北山最後の王、攀安知(はんあんち)が1416年に尚巴志の率いる連合軍によって滅ぼされてしまう。その後、監守制度(1422年〜1665年)がしかれ首里王府から派遣された監守によって北部地域が統治された。監守制度は第一尚氏王統から第二尚氏王統に引き継がれ、監守一族が首里に引き揚げた1665年まで続く。その後の今帰仁城は政治の場から祭祀の場へと変貌していった。
■国指定史跡
 1972年5月15日、国史跡に指定
■今帰仁城跡の位置
 那覇市から北へ約85Kmの距離にある。沖縄自動車道を利用すると車で約1時間20分。

 今帰仁城跡は沖縄本島北部、本部(もとぶ)半島の国頭(くにがみ)郡今帰仁村字今泊にある。標高約100m(山城)、大宜味・国頭の山々を見渡し、海上に与論島・伊平屋島・伊是名島を望む。三山(北山・中山・南山)が鼎立していた時代に北山(沖縄本島北部)支配の拠点となった。そのため別名「北山城(ほくざんじょう)」と呼ばれる。

■築城年代
 13世紀末頃、城壁は14世紀の中頃に築かれた

■築城者
 不明

■遺構
 本丸、大隅(うーしみ)、御内原(うーちばる)、志慶真門郭(しげまじょうかく)、大庭(うーみゃー)などの曲輪。石垣、平郎門跡

■縄張(下段の写真)
 今帰仁城は10の郭からなり、南東側は断崖絶壁となり、下を志慶真川が流れる。北側は海に臨む要害の地であった。西(平郎門側)を正面とし、東(主郭側)に向かって高くなっている。最高所に主郭(本丸)を置き、主郭の北側に階段状に大庭と御内原、大隅と呼ばれる主要3郭があり、主郭には正殿があったと推測されている。
<訪城日>2014年10月  
      

■大隅の城壁
(城外側)

 今帰仁城跡の城壁は、ねずみ色の古期石灰岩で堅牢に築かれています。なだらかな斜面地を利用して幾重にも連鎖的に連なっています。城壁の外側に一定の間隔をあけて突出部を築くことで、城壁にせまる敵を横、あるいは斜めから攻撃できるように工夫された造りになっています。
 さらに、屏風型に波打つ様は沖縄の古謡「おもろさうし」に『もゝまかり、つみ、あけて』とあり、今帰仁城跡の城壁を百曲がりに積み上げてと謡い、蛇行する石積みの様子を伝えています。戦災を逃れた今帰仁城跡の城壁は、その多くがオリジナルの城壁となっています。

■大隅の城壁
(城内側)

 今帰仁城跡の城壁に用いる石材は、今から約2億3000万年前の堆積層で、比較的古いタイプの石灰岩です。石はねずみ色で硬いのが特徴で、石材は今帰仁城跡の立地する土地やその周辺の地層から採石されたものが使われたと考えられています。城壁は、この石灰岩を一つ一つ積み上げて造られています。城壁の壁面に並ぶ石は面石(つらいし)と呼ばれ、なるべく直方体の形の整った石材を選び。最も高い石垣は7mまで積みあげています。
 
■世界遺産登録遺産の石垣石材

 「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたグスクは今帰仁城跡、首里城跡、勝連城跡、座喜味城跡、中城城跡の5つの遺跡があります。いずれのグスクも城壁は石垣で築かれています。石垣の構築技術は、中国や朝鮮など大陸からの影響と考えられていて、これを琉球独自に発達させたものとされています。

 この石垣には石灰岩という石が使われていますが、それぞれのグスクが立地する土地によって石灰岩の種類が異なるため、各城で個性ある石垣が築かれています。

ねずみ色で硬いのが特徴である今帰仁城跡の石材

大隅東側の石垣。南東側は断崖地形となり、下を志慶真川が流れる。石垣上部に見られる胸壁は、武者走りで防御する兵士の楯となる。


■志慶真門郭


 志慶真門(しげまじょう)はシジマジョウと呼ばれ、今帰仁城跡の東南端に位置する郭(約1,700㎡)である。昭和55年〜57年にかけて発掘調査が行われ、その結果傾斜地を利用して5段の段丘(テラス)に造成されていることや、段丘に掘立柱の建物が4棟あったことが判った。また、各段丘と志慶真門から大庭へと続く石敷道や石段なども検出されている。出土遺物に陶磁器、武具類、装飾品、遊具、炭化米、炭化麦などがある。

 これらのことから郭の中では「家族単位」の生活が営まれていたことと思われる。なお、瓦が出土していないことから、建物の屋根は茅ぶきか板葺きと考えられる。
■空から見た今帰仁城跡(写真は今帰仁村歴史文化センター掲示物より)
 空から眺めた今帰仁城跡は、古世紀石灰岩を積みあげた石垣の連続した弧が美しい。城壁は石の面を加工せずに積みあげた野面積(のづらづ)みである。正面から上がって行く階段(七五三の階段)は昭和34(1959)年に新しく作られたもの。
          
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