このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


国指定重要文化財<旧野崎家住宅>  岡山県指定史跡<野崎家旧宅>
  <国重文〜平成18年12月19日指定  県指定〜昭和52年4月8日指定>
■野崎家は、製塩業と新田開発で財をなした野崎武左衛門がその気宇に合わせて天保から嘉永年間に次々と築いていった民家である。敷地面積は約3000坪・建物延床面積は、1000坪近くある。武左衛門は、文政10年(1827年)から文久3年(1863年)にかけて、野崎浜(現在の児島駅附近)、日比亀浜、東野崎浜、久々井浜など終生161ヘクタールの入浜式塩田を開発した。その間、岡山藩の命によって、福田新田652ヘクタールの大干拓事業も完成させた。その謹功により、嘉永6年(1853年)に大庄屋に取り立てられた。武左衛門の全盛期に次々と建てられたこの建物は、創建当時の建築技術の粋をこらしたもので、独特な平面の主屋、意匠に優れた表書院など庭園と共にそのまま今日に伝えられており、雄大な規模を有する当時の大事業家の居宅として貴重である。(財団法人 竜王会館)
【所在地】倉敷市児島味野1丁目11番19号

<旧野崎家住宅配置図> の付いた建物は、国重要文化財指定建造物
旧野崎家住宅


▲長屋門<国重要文化財指定建造物>
 長屋門を入ると、濃い緑を背景とした本瓦葺の主屋群が軒を連ねて美しく、これに並んで威風堂々と軒を連ねる土蔵群がある。

▲長屋門
 長屋門の石垣は、鉢巻積みの工法によるもので、7段の石段を上がると右に桃座敷、左に南座敷がある。このような門造りは、江戸時代の大庄屋建築のなかでも特に壮麗であり、天保9年(1838)に竣工している。

▲南座敷

▲桃座敷

▲長屋門(中央)・南座敷(右)・桃座敷(左)

▲御成門
 貴賓の出入口で、表玄関から表書院へと通じており、通常は閉ざされている。

▲内玄関

▲内玄関の内部

▲表玄関

▲表玄関の内部

▲表書院
 野崎家の中心となる建物で、貴賓の応接にあてられた。嘉永4年(1851)1月から嘉永5年6月までの1年半をかけて竣工した。上の間・下の間・茶室等から成り、上の間は12畳半で正面に、1畳半の畳床と一間の違棚、そして一間の付書院がある。

▲表書院下の間
 15畳で一間半の床がある。

▲中座敷
 野崎家が住まいの中心とした主屋は天保4年(1833)頃の建築である。

▲中座敷
 中座敷から向座敷まで23間(42m)、9つの座敷が連続している。

▲台所

▲味噌蔵
 
▲土蔵群〜長屋門を潜ると主屋の右手に土蔵群が迫ってくる。蔵は「商人のお城」とも言われ、右から岡蔵・新蔵・書類蔵・大蔵・内蔵と並び、さらに内蔵の後方には夜具蔵が配されている。

▲岡蔵(展示館)

▲岡蔵の内部

▲新蔵

▲書類蔵

▲大蔵

▲内蔵

▲夜具蔵

▲向座敷

【旧野崎家住宅附属指定建造物】

▲観曙亭(かんしょてい)
 庭内には、観曙亭・容膝亭(ようしつてい)・臨池亭(りんちてい)の三席の茶室がある。

▲待合・雪隠

▲容膝亭

▲臨池亭
 野崎家別邸たい暇堂<国登録有形文化財>
 別称迎賓館。明治時代後期に建てられた。10棟2基が国の登録有形文化財となっている。
  野崎武佐衛門翁旌徳碑(のざきぶざえもんおうしょうとくひ)<国登録有形文化財>
 野崎家から南西約400mの地に、緑に囲まれた約1000坪のこの小庭園は、明治25年(1892)野崎武佐衛門の功徳を偲ぶ多くの人々により造られたもので、敷地面積約3500㎡、中央に武佐衛門の顕彰碑があることから、土地の人々から「野崎の記念碑」と呼ばれています。
 碑の前には心字池を築き、大小の奇岩を配し、背後に築山を設けた池泉回遊式の庭園です。周囲に巡らした堀には、昭和の初めまでは、瀬戸内の海水が入ってきていました。この大尖塔は、日本の塩田王と呼ばれた野崎武佐衛門(1789〜1864)の功徳を称えた旌徳碑(頌徳碑)です。明治25年(1892)に野崎浜を一望できるこの地に建立されました。全長18.3m、塔身だけで11.79mあります。

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