このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

宮崎県日南市飫肥にある平山城。長年にわたって、島津氏と伊東氏の抗争の舞台、せめぎ合いの城。その後、飫肥藩伊東家14代280年間の居城となる。            
  【築城年・築城者】不明   【遺構】石垣・空堀・本丸跡

【旧本丸跡】


おびじよう
飫肥城
 
【沿革】 
 1587年(天正15)、豊臣秀吉の九州平定で功のあった伊東祐兵(いとうすけたけ)が、城主となった。祐兵は城の改修に着手し、第2代祐慶(すけのり)のときにほぼ完成した。城は本丸を中心に、松の丸・西の丸・中の丸・今城・中の城などで構成されていたが、震災に見舞われ、1686年(貞亨3)から8年がかりの大改修がおこなわれた。
 1873年(明治6)に廃城となり、すべての建物が取り壊された。1978年(昭和53)に大手門が、翌年には城主の居館である松尾の丸が復元されている。

●文化財指定区分 日南市指定史跡。
●通称 舞鶴城
●再建造物 御殿・櫓門・門・塀

大手門(城外側) 明治初年に取り壊されたが、1978年(昭和53)、木造で櫓門として復元された

{交通ガイド}
JR日南線「飫肥」駅から
徒歩約15分

∴青島

∴白浜

城巡りの途中、宮崎県・日向灘沿いの青島付近にて

飫肥城をめぐる

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大手門(城内側)
内部は内桝形の構造。

犬馬場から歴史資料館へ至る石段
馬場は、大手門から「松尾の丸」に通じる順路。石段上は歴史資料館。

築地塀を支える控柱
戦時には板を渡して、塀上から敵を攻撃するのに用いた。

旧本丸へと続く石段

飫肥杉が林立する旧本丸跡
旧本丸跡には、石垣と飫肥杉だけが残る。本丸は、築城以来3度にわたる地震で崩落。第5代藩主伊東祐実(すけざね)の1693年(元禄6)に、現在の飫肥小学校の用地内に移された。本丸跡は、東に隣接する飫肥小学校が大部分を占める。

旧本丸北門(城外側)
旧本丸跡に復元された、入母屋造り、本瓦葺の薬医門。裏門にあたる。

北の丸から見た旧本丸北門

城主の居館「松尾の丸(復元)」
かつて、今城・中の丸・八幡城などとともに並んだ曲輪のひとつ。30段の石段上に建つ。

「松尾の丸」御殿の内部
1979年(昭和54)に、樹齢100年を超える飫肥杉を用材として復元。

「松尾の丸」下の石垣

大手門前の橋から見た空堀跡

空堀跡
奥の橋は大手門前の橋。

■大手門(城内側)

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