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山腹に建設された「高知県立歴史民族資料館」と「岡豊(おこう)城跡」。岡豊城は、四国を代表する戦国武将、長宗我部(ちょうそかべ)氏の居城跡。
【所在地】高知県南国市岡豊町八幡  【築 城】戦国時代  【主な城主】長宗我部氏
【形 式】平山城。標高97mの岡豊山に構築された東西に長い孤立丘陵
【遺 構】竪堀・空堀・井戸・曲輪・土塁など

 
 縄張は、山頂部の詰(つめ)を主郭としニノ段から四ノ段までの階段式の曲輪配置。さらに伝厩跡曲輪(でんうまやあとくるわ)と伝家老屋敷曲輪の二ヵ所の副郭部からなる城郭。南を流れる国分川を天然の外堀とする。

【写真】木造長宗我部元親(もとちか)坐像(歴史民俗資料館展示)
 岡豊城跡は、四国を平定した長宗我部氏の居城として知られる中世の城跡です。長宗我部氏は鎌倉時代に地頭として土佐へ入国したと伝えられており、それ以後、長岡郡を中心に勢力を拡げ、戦国大名へと成長していきました。
 岡豊城の築城は発掘調査の結果、13〜14世紀ころと考えられています。「土佐物語」によると16世紀の初頭に一度落城したと伝えられており、その後、国親(くにちか)により1516(永正13)年に再興され、1588(天正16)年に元親が大高坂(おおたかさ)城(現在の高知城)へ移転するまでの、約70年間にわたり居城として使われていたといわれています。

 岡豊山は、香長平野に突き出した丘陵であり、標高97mの頂上部(詰)に立てば、眼下に香長平野をおさめ、遠く太平洋も望むことができます。南には国分川が流れ、自然の要害の地でありました。
 城跡は、詰を中心とする本城といわれる部分と西の伝厩跡曲輪、南斜面の伝家老屋敷曲輪の二つの出城からなる連郭式の構造となっています。本城は、詰と堀切(ほりきり)によりへだてられたニノ段、詰の南から西にかけて周囲を取り巻く三ノ段、四ノ段からなり、虎口(こぐち。城の中心となる出入口)は西部に造られています。

 発掘調査の結果、詰・詰下段(つめかだん)・三ノ段では礎石建物跡や土塁の内側に石積みが発見されています。また、多量の土師質土器とともに青磁、白磁、染付と呼ばれる輸入陶磁器、瀬戸、備前、常滑などの国産陶器、渡来銭、小刀、また武器として火縄銃の部品(火挟・ひばし)や弾丸などの遺物が出土しています。岡豊城の整備にあたっては、発掘調査の成果をもとに詰、詰下段、ニノ段、三ノ段の土塁や礎石建物跡などを復元しています。(現地説明板より)
土佐の戦国武将 長宗我部元親(1539〜1599)
 土佐国(高知県)の戦国時代は、各地に有力な国人(在地領主)が誕生し勢力を争うようになる。もっとも強大なのは公家出身の大名の一条氏。これを別格として、「七守護」と呼ばれる津野・大平・吉良・本山・安芸・香宗我部、そして長宗我部の7家が群雄割拠していた。長宗我部氏は、高知平野東部を占める香長平野の岡豊一帯を本拠としていた。元親は、当主長宗我部国親の嫡男として天文8年(1539)岡豊城に生まれた。永禄3年(1560)22歳で初陣を果たし、急死した父国親の跡を継ぎ、長宗我部第21代当主となる。

 天正3年(1575)37歳のとき本山・津野などの豪族を従え、中村の一条兼定を九州に追いやり、父国親の死から15年、土佐統一を遂げる。土佐統一ののち阿波、讃岐、伊予へ侵攻し、初陣より25年かけてついに天正13年(1585)春四国を統一。しかしそれもつかの間、同年豊臣秀吉の四国征伐にあい、降伏して土佐一国の領有を許された。天正16年(1588)には、岡豊城から大高坂城(高知城の前身)に居城を移す。天正18年(1590)秀吉の小田原征伐に従軍、帰国後、天正19年(1591)浦戸に城を移す。元親の行った検地の記録「長宗我部地検帳」は、当時の社会を知る上で貴重な文化遺産である。慶長4年(1599)5月19日、京都・伏見の邸で61歳の生涯を閉じる。

【岡豊城跡散策】

 
<岡豊城跡遠望>


「岡豊山歴史公園」
(国史跡・岡豊城跡/平成20年7月28日指定)
礎石建物跡、土塁、石積みなど城跡の遺構を保存復元し、歴史公園として整備


▲二ノ段
 二ノ段は詰の東側にあり、長さは約45m、幅は最大で約20mで、建物跡などの遺構は確認されていません。南部には高さ60㎝の土塁跡が約30mにわたり残っています。二ノ段と詰の間には堀切と井戸跡があります。
 橋の両側が堀切で、橋のすぐ右が井戸跡。二ノ段からは、焼土や炭化物に混じり、瓦片が多くみつかっています。
 歴史民俗資料館から二ノ段まで徒歩5分。なお、土佐では城内の曲輪を壇、もしくは段と呼ぶことが多い。
(文は現地説明板より。以下同じ)


▲堀切
 詰と二ノ段の間にある堀切。堀切は、尾根などを空堀によって断ち切り、敵の侵入を防ぐ施設。幅3〜4m、深さ2m前後あり、岡豊城のなかでも最大の堀切です。

▲井戸跡
 井戸は、堀切のほぼ中央部に掘られており、方形をしています。上部は幅3m、底部は0.8mで、二ノ段からの深さは、4.7mです。岩盤を3.6mほど掘り込んでおり、岩盤の上には、堀切を区切るように北に2段、南に3段の石積がみられます。井戸の底は、岩盤ですので湧き水はなく、雨水をためる溜井として使われていたようです。


詰下段の礎石建物跡
 詰の東に付属する小曲輪で、礎石建物跡1棟や土塁などの遺構が発見されました。礎石建物跡は、2間×5間(5.8m×9.2m)で、面積は53㎡と大きく、東の土塁(左奥)と西の詰斜面(手前側)に接して建てられています。礎石には、40〜60㎝の割石が使われており、半間ごとに置かれています。詰下段は、二ノ段から詰への出入口を守るために造られた小曲輪であったと考えられます。


▲詰
 岡豊城跡の中心となる曲輪で、標高97mの岡豊山の頂上部にあります。1辺40mのほぼ三角形状で、東には二ノ段、南から西にかけては三ノ段、四ノ段が詰を取り巻くように造られています。詰南部からは、2棟の礎石建物跡と石敷遺構(建物の基礎)、土塁などがみつかり、重層構造の建物が存在していたと考えられています。詰からは天正3年(1575)の年号のある瓦をはじめ、土師質土器、輸入陶磁器、渡来銭、懸仏や地鎮の遺構がみつかっています。


▲出土した信仰に関係する懸仏、地鎮に使われた犬型土製品(歴史民俗資料館にて)
 岡豊城跡からは、食器など土師質土器(はじしつどき)や陶磁器片、建物の屋根に葺かれた瓦、金属製品、武具、信仰に関係する懸仏(かけぼとけ)、地鎮に使われた土師質土器や銭貨、犬形土製品などが出土しています。

▲文字を刻した瓦(歴史民俗資料館にて)
 瓦は軒丸瓦や軒平瓦、平瓦、丸瓦などが出土していますが、文字を刻した瓦が2点出土しています。1つには、「おかうの御・・・・」「瓦工泉刕(州)・・・・」「・・・天正三年(1575)・・・」と元親が土佐を平定した年の年号を刻しています。瓦は和泉大坂の瓦工人により製作されたものと考えられます。


▲三ノ段の礎石建物跡
 三ノ段は、詰の南と西を囲む曲輪で、南部は幅約5m、長さ約45m、西部は幅4〜6m、長さ約50mほどあります。

三ノ段の石積
 発掘調査では、礎石建物跡1棟と中央部に詰への通路となる階段跡、そして土塁の内側に石垣が発見されました。岡豊城跡の土塁には、石垣は使われていないと考えられていましたが、20〜40㎝の割石を1mほど積んだ石垣が、西部の土塁にあることがわかりました。石垣の北半分はよく残っていましたが、南半分はほとんど崩れていました。


▲三ノ段の土塁
 奥側が三ノ段土塁の南側となる。写真には写っていませんが、手前側に上2枚の写真にある石積みが位置します。

三ノ段の石段
 階段跡は岩盤を削り、両側は野面積石垣となっています。階段跡のすぐ北には建物跡が接しており、通路は南から階段を通り詰へと登るようになっています。


▲四ノ段北部曲輪の虎口
 四ノ段は、三ノ段の西部を囲むように造られた曲輪。この虎口は、土塁を曲げて横矢を掛けられるようにしてある。

▲空堀(からぼり)
 一つの曲輪を囲む水のない堀を空堀と呼んでいます。虎口を守るために造られており、土塁とともに敵の侵入を防ぐ重要な役割をはたしています。この空堀は削られていますが、幅2.5m以上あったと考えられます。


▲竪堀(たてぼり)
 竪堀は、敵の侵入を防ぐために、城の斜面に上から下に掘られた堀です。岡豊城では、詰の西斜面や伝厩跡曲輪(出城)の南斜面に連続して掘られています。

▲伝厩跡曲輪
 詰の西南にある曲輪で、通称伝厩跡曲輪と呼ばれています。長さ約30m、幅約17mの楕円形状で、北西に2本の堀切、南に畝状竪堀群があり、西や南西部の湿地帯からの攻撃に対して本城を守る役割を果たしたと考えられます。


舗装された園路
 園路から段(曲輪)へ至る道も遊歩道として整備され、各所に説明板も立ち、散策しながら学習できる歴史公園です。


▲国分川
 城跡から眺める天然の外堀、国分川。
  

はりまや橋


岡豊城跡入口
 ここから歴史民俗資料館まで坂道が続き徒歩約15分。

[歴史民俗資料館/利用案内]
 開館時間:午前9時〜午後5時
 休館日:年末年始(12月27日〜1月1日)※臨時休館あり
 観覧料:大人(18歳以上)450円※無料制度あり

岡豊城跡アクセス
 ●高知市中心部から車で約20分
 ●高知または南国I・Cから車で約10分
 ●県交通バス、領石・田井方面行きで約30分、「学校分岐」下車、徒歩約15分


「訪問日」平成26年(2014)2月



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