このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 ●岡山藩主池田光政(いけだみつまさ)は、寛文6年(1666)領内の神社の由緒を調べさせ、翌年、産土神(うぶすながみ)601社および由緒のある神社を残し、社や(ほこら)10、524社を廃して、71社の寄宮(よせみや)合祀(ごうし)しました。その後正徳(しょうとく)3年(1713)、藩主池田綱政(いけだつなまさ)はこの地にあった句句廼馳(くくのち)神社境内を拡張し、66社の寄宮をこの地に移して合祀しました。これが大多羅寄宮です。
 ●寄宮には藩から、毎年修理料と御供養が支給されていましたが、明治維新後はそれも途絶えたため、明治8年、祭神を布勢神社(ふせじんじゃ)に合祀、現在は東西9間(約16m)、南北10間(約18m)の境内地と石垣を残すのみとなっています。(現地説明板より)
■所在地   岡山市東区大多羅町
■アクセス  JR赤穂線大多羅駅から山道を徒歩約10分
■公開状況  自由



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