このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

国指定重要文化財

旧大原家住宅


■旧大原家住宅『主屋』
 主屋は、倉敷窓、倉敷格子といった倉敷独特の意匠を備えている。大原家は児島屋と号する新禄派の1つで、旧大原家住宅は1795(寛政7)年に主屋の建設が始まり、明治時代初期にほぼ現在の姿となった。
 主屋(附塀3棟)・内倉・離座敷・倉・新倉・中倉・内中倉・北倉・壬子(じんし)倉・西倉の10棟が国の重要文化財(建造物)に指定。指定年月日/昭和46年3月11日(追加指定:昭和57年6月11日)。外観のみ見学可能(内部は非公開)。手前の橋は今橋。


■今橋と旧大原家住宅
 旧大原家住宅は、倉敷美観地区内の倉敷川に面しており、倉敷川に架かる今橋の対岸(写真左側)には大原美術館が建つ。

■大原美術館
 大原美術館は、1929(昭和4)年、西洋画家の児島虎次郎が亡くなったことを悼み、その支援者であった大原孫三郎が建設を計画し、総社市出身の薬師寺主計(やくしじかずえ)の設計で、翌年、日本初の西洋美術館として開館した。
■有隣荘
 有隣荘は、大原孫三郎が夫人のために昭和3(1928)年に建てた別邸。『論語』の「徳は弧(こ)ならず必ず隣(りん)有り」から有隣荘といわれる東邸は、薬師寺主計が設計した洋風建築と、児島虎次郎の主張を取り入れ、薬師寺の恩師である東京帝国大学の伊東忠太が設計した近代和風建築との混成建物で、屋根は中国の孔子廟を模して黄緑色の泉州瓦(谷川窯)で葺かれており、緑御殿とよばれる。
 1928(昭和3)年に完成し、1935年に大原美術館が財団法人化されたとき、同美術館の管理下に入った。当初倉敷の迎賓館として利用できるように設計され、第二次世界大戦後、昭和天皇も宿泊した。1997(平成9)年から展覧会などで公開されている。
■大原家裏路地から重文の各倉を眺める
(左上)大原家と有隣荘の間の道を入った路地。蔵は土蔵造りで、白漆喰で盛り上げる「なまこ壁」と瓦のコントラストが非常に美しく、倉敷の町並みの景観を特徴づけている。

(右上)大原家北側の路地と倉

(左)西側から見た旧大原家住宅の倉

■倉敷川沿いに建つ旧大原家住宅

■今橋
 旧大原家住宅前の今橋は、1926(大正15)年の皇太子(のちの昭和天皇)行啓に際して大原孫三郎が建設し、倉敷市に寄贈したものである。鉄筋コンクリート造りで、欄干には児島虎次郎がデザインした菊と龍の文様が施されている。


■旧大原家住宅の路地裏

■旧大原家住宅周辺図

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