このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

●国指定特別史跡
(本丸と外堀内側の二の丸)
●重要文化財
(13棟の建造物)

大阪城公園案内図

大  阪  城
   (大阪市中央区大阪城)

■現在の天守は、豊臣大坂城を模して、徳川大坂城の天守台上に建てられている

日本三大名城の一つ

▼内堀の石垣と天守 昭和6年(1931)、大阪市民の熱意により鉄骨鉄筋コンクリート造りで秀吉時代の天守を再建。平成9年(1997)には大規模な改修が行われた(5層8階・地上55m)

■石垣は、高いところで水面から二十四メートル。  水深六メートルに基礎の根石まで含めると高さ  三十二メートルの見事な石垣は徳川大坂城の  遺構。天守の内部は、博物館。

豊臣家家紋
「太閤桐
(たいこうきり)

■大阪城(明治以前は大坂城)の位置する上町台地は古代から水運の便に恵まれた自然の要害であつた。この地に最初に城を築こうとしたのは織田信長であつたといわれている。
◆大々的に大阪城築城を行つたのが、後継者となった豊臣秀吉である。1583年(天正11)に工事をはじめて15年余の歳月をかけて完成(豊臣大坂城)
◆1615年(慶長20)、大坂夏の陣によって大阪城は落城し、豊臣家滅亡。代わって建てられたのが徳川大坂城である。縄張は築城名人として名高い藤堂高虎である。築城工事(1620〜29)は豊臣大坂城を埋めた台地上で、二代将軍秀忠・三代家光の二代にわたって行われた(徳川大坂城)
◆1629年(寛永6)に完成したが、わずか36年後、落雷のため天守が焼失し、以後江戸時代を通じて天守は再建されなかった。

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大手門

 城跡は史跡公園・大阪城公園となっており、二重の広大な水堀と高石垣
が往時の姿をよく残している(案内図は大阪城パンフより転載)

■日本一の高石垣

▼桜門(重要文化財)

▼南から望む大手口

▼西から望む大手口

▼大手口

天守

■重要文化財の櫓・蔵
■大阪城の巨石
■大手門あたりの建造物
豊臣と徳川が築いた大城郭を訪ねる

大手口には、右より大手門、多聞櫓、千貫櫓(いずれも重要文化財)がそびえる。

城内への入口は大手口、玉造口、青屋口、京橋口の4ヶ所。

■豊臣時代にも本丸の正門は桜門と呼ばれていた。桜門は、徳川時代の本丸再築の寛永3年(1626年)に築かれたが、明治維新の城中大火(1868年)で焼失した。現在のものはその後明治20年(1887年)に再築された。

桜門をくぐると本丸。桜門後方の建物は天守。

桜門手前の橋下は空堀となっており、本丸は空堀と内堀で守られている。

■空堀
空堀によって仕切られている二の丸と本丸。

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