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おとご
乙子城 (岡山市乙子)
[乙子城址全景]
■歴史
宇喜多直家(のちの岡山城主)が、天文13年(1544)に乙子山に構えた連郭式の小型山城。後に備前、美作一帯を統一し、戦国大名に成長した直家が、城主としての第一歩を踏み出した記念すべき城。直家最初の居城で、「国とり」はじまりの地といえる。
宇喜多直家は天文12年(1543)浦上宗景の家臣となり、赤松晴政の軍と播磨で戦い殊勲をたて、この戦功と祖父能家の旧功によって、足軽30人と300貫の領地を与えられ乙子城主となった。
直家はここに5年間在城し、この地の治安維持と戦功を挙げた。その恩賞に岡山市竹原(上道郡奈良部)の新庄山城を与えられ、天文18年(1549)に移転した。
その後、乙子城は持城として、弟の浮田忠家を城主に置いていたが、宇喜多直家が永禄2年(1559)に亀山城(岡山市沼)に移り、岡山市平野の平定が進むにつれその存在価値が薄らぎ廃城となる。<現地説明案内板より>
▼写真左は本丸跡(頂上部分)、写真右側は二の丸跡
【乙子城周辺の変遷 / 今と昔】
【城の構成】
▼乙子城址本丸
▼本丸より吉井川および西大寺市街を望む
◆写真左は吉井川沿いに聳える乙子城址。
右は東側からの写真。
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