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大洲城(おおず)

肱川(ひじかわ)の畔の丘陵に築かれた平山城

四重四階・層塔型・連結式天守
が木造で往年の姿に甦る

県指定有形文化財
<下台所>

【所在地】愛媛県大洲市大洲

全国に鉄筋コンクリートで戦後相次いで天守が復興したが、大洲城天守は、江戸時代の古絵図をはじめ、江戸時代に造られたと思われる天守雛形、明治時代に撮られた古写真などの資料をもとに木造で復元され、そのため歴史的価値は高く、戦後復元の木造天守(19.15m)としては日本一高い。

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苧綿櫓(写真左)の傍に建つ「神伝流発祥の地」の石碑。
神伝流は、大洲藩が武芸のひとつとして磨いた古泳法。
愛媛県の無形文化財に指定されている。

■四重四階の天守は台所櫓、高欄櫓とL字型に多聞櫓で連結した連結式天守

木造で復元された4重4階の天守と、多聞櫓(再建)で天守と連結している台所櫓
大洲城は、肱川に面した小丘(地蔵嶽・比高30m)を中心として縄張され、外堀に肱川の流れを利用した平山城。城跡は県史跡。4棟の櫓(台所櫓・高欄櫓・苧綿(おわた)櫓・三の丸南隅櫓)が国の重要文化財に指定。

【交通アクセス】JR予讃線「伊予大洲」駅から徒歩約20分

▲天守台石垣は、天守再建に際しては上端二段の欠損部のみを積み足しされた。

▲本丸には、江戸時代の石垣が残る。

▲下台所から、高欄櫓、天守を望む

▲下台所(しもだいどころ)
大洲城に残る当時の建造物は、重要文化財の4つの櫓とこの下台所のみで、下台所は城内の食料庫としての機能を果たしていたと言われる。

▲肱川に面した本丸東側は木立が生い茂っているが、木立の途切れたところに苧綿櫓が位置する。

▲二の丸北曲輪から見た天守
天守左は台所櫓、右は高欄櫓

▲本丸側から見た天守
四重四階の層塔型天守の両脇に高欄櫓(左)、台所櫓(右)が多聞櫓で連結している

肱川の対岸から望む天守と多聞櫓で連結された台所櫓

肱川橋から望む大洲城址  「肱川の鵜飼い」として知名度があり、肱川に浮かぶ観光の屋形船と鵜飼い船。木の影になっていますが、天守が僅かに見え、また、左端の川縁には苧綿櫓が建っている。

【大洲城案内図】

天守の復元

肱川を天然の堀とした大洲城
遺構として、台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓、下台所、本丸、石垣などが残る。

大洲城は、地蔵嶽・亀ヶ岡城・大津城などと呼ばれ、城は、丘陵の上部を本丸として、東に肱川、北に久米川、西と南は堀をめぐらしていた。

■大洲城天守は、下見板張りで、千鳥破風を一重目と二重目で数を違えて付けられ、三重目には向唐破風が付けられている。
■台所櫓(二重櫓) 二重二階 望楼型 一階の3分の一が土間になっていて、炊事ができる。 天守へは、この櫓から入る。
■高欄櫓(二重櫓) 二重二階 層塔型 高欄は本来、望楼の意味で天守最上階に付けられる。 大洲城の高欄櫓は、二面に高欄が付設されている。 後方の天守とは、再建の多聞櫓で連結する。
■苧綿櫓(二重櫓) 二重二階 層塔型 二の丸東端の肱川寄りに建つ。一階に窓付き袴腰の石落しがある。
■三の丸南隅櫓(二重櫓) 二重二階 層塔型 防火・防弾のため、壁は二重の太鼓壁で、空洞部分に瓦や石を詰める。
大洲城年表
鎌倉・室町元弘元年
(1331)
宇都宮豊房(うつのみやとよふさ)が地蔵ヶ岳に城を築く
安土・桃山天正13年
(1585)
羽柴秀吉の四国平定後、道後湯月城を本拠とする小早川隆景(こばやかわたかかげ)の枝城となる
天正15年
(1587)
戸田勝隆(とだかつたか)16万石で大洲城に入城。宇和郡、喜多郡が領地となる
文禄4年
(1595)
藤堂高虎(とうどうたかとら)7万石で板島(宇和島の旧名)に入城。大洲は蔵入り地となり高虎が代官となるが、すぐに大洲を居城とする
江戸慶長14年
(1609)
脇坂安治(わきさかやすはる)が洲本より大洲に入城。喜多、浮穴、風早三郡において5万石余を領する
元和3年
(1617)
加藤貞泰(かとうさだやす)が米子より大洲に入城。喜多郡、浮穴郡、風早郡、桑村郡などの内6万石を領する。加藤貞泰の入封後は、加藤氏の世襲となって、13代250年間続いて明治維新を迎えた
享保7年
(1722)
三の丸南隅櫓焼失
明和3年
(1766)
三の丸南隅櫓再建
天保14年
(1843)
苧綿櫓再建
安政4年
(1857)
地震により、台所櫓、高欄櫓が大破する
安政6年
(1859)
台所櫓再建
万延元年
(1860)
高欄櫓再建
明治・大正・昭和明治21年
(1888)
海南新聞10月23日付けに、天守の取壊し作業が始まる記事が掲載。明治維新後の廃城は免れるが、老朽化を理由に天守は取り壊された
昭和28年
(1953)
大洲城跡が県指定史跡に指定
昭和32年
(1957)
台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓及び三の丸南隅櫓が重要文化財に指定
昭和34年
(1959)
苧綿櫓の解体修理を完了、土台の石積みを2.6mかさ上げする
昭和40年
(1965)
三の丸南隅櫓の解体修理が完了
昭和45年
(1970)
台所櫓、高欄櫓の解体修理が完了
平成平成14年
(2002)
天守復元工事起工
大洲城天守の復元は、慶長年間(1596〜1614)に建てられたといわれる天守の復元
平成16年
(2004)
天守復元工事完成
大洲城重要文化財建造物
<台所櫓・高欄櫓・苧綿櫓・三の丸南隅櫓>
本丸の石垣

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