このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
肱川(ひじかわ)の畔の丘陵に築かれた平山城
四重四階・層塔型・連結式天守
が木造で往年の姿に甦る
県指定有形文化財 <下台所> |
【所在地】愛媛県大洲市大洲
全国に鉄筋コンクリートで戦後相次いで天守が復興したが、大洲城天守は、江戸時代の古絵図をはじめ、江戸時代に造られたと思われる天守雛形、明治時代に撮られた古写真などの資料をもとに木造で復元され、そのため歴史的価値は高く、戦後復元の木造天守(19.15m)としては日本一高い。
苧綿櫓(写真左)の傍に建つ「神伝流発祥の地」の石碑。
神伝流は、大洲藩が武芸のひとつとして磨いた古泳法。
愛媛県の無形文化財に指定されている。
木造で復元された4重4階の天守と、多聞櫓(再建)で天守と連結している台所櫓
大洲城は、肱川に面した小丘(地蔵嶽・比高30m)を中心として縄張され、外堀に肱川の流れを利用した平山城。城跡は県史跡。4棟の櫓(台所櫓・高欄櫓・苧綿(おわた)櫓・三の丸南隅櫓)が国の重要文化財に指定。
【交通アクセス】JR予讃線「伊予大洲」駅から徒歩約20分
▲天守台石垣は、天守再建に際しては上端二段の欠損部のみを積み足しされた。
▲本丸には、江戸時代の石垣が残る。
▲下台所から、高欄櫓、天守を望む
▲下台所(しもだいどころ)
大洲城に残る当時の建造物は、重要文化財の4つの櫓とこの下台所のみで、下台所は城内の食料庫としての機能を果たしていたと言われる。
▲肱川に面した本丸東側は木立が生い茂っているが、木立の途切れたところに苧綿櫓が位置する。
▲二の丸北曲輪から見た天守
天守左は台所櫓、右は高欄櫓
▲本丸側から見た天守
四重四階の層塔型天守の両脇に高欄櫓(左)、台所櫓(右)が多聞櫓で連結している
肱川の対岸から望む天守と多聞櫓で連結された台所櫓
肱川橋から望む大洲城址 「肱川の鵜飼い」として知名度があり、肱川に浮かぶ観光の屋形船と鵜飼い船。木の影になっていますが、天守が僅かに見え、また、左端の川縁には苧綿櫓が建っている。
【大洲城案内図】
天守の復元 |
肱川を天然の堀とした大洲城
遺構として、台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓、下台所、本丸、石垣などが残る。
大洲城は、地蔵嶽・亀ヶ岡城・大津城などと呼ばれ、城は、丘陵の上部を本丸として、東に肱川、北に久米川、西と南は堀をめぐらしていた。
大洲城年表 | ||
元弘元年 (1331) | 宇都宮豊房(うつのみやとよふさ)が地蔵ヶ岳に城を築く | |
天正13年 (1585) | 羽柴秀吉の四国平定後、道後湯月城を本拠とする小早川隆景(こばやかわたかかげ)の枝城となる | |
天正15年 (1587) | 戸田勝隆(とだかつたか)16万石で大洲城に入城。宇和郡、喜多郡が領地となる | |
文禄4年 (1595) | 藤堂高虎(とうどうたかとら)7万石で板島(宇和島の旧名)に入城。大洲は蔵入り地となり高虎が代官となるが、すぐに大洲を居城とする | |
慶長14年 (1609) | 脇坂安治(わきさかやすはる)が洲本より大洲に入城。喜多、浮穴、風早三郡において5万石余を領する | |
元和3年 (1617) | 加藤貞泰(かとうさだやす)が米子より大洲に入城。喜多郡、浮穴郡、風早郡、桑村郡などの内6万石を領する。加藤貞泰の入封後は、加藤氏の世襲となって、13代250年間続いて明治維新を迎えた | |
享保7年 (1722) | 三の丸南隅櫓焼失 | |
明和3年 (1766) | 三の丸南隅櫓再建 | |
天保14年 (1843) | 苧綿櫓再建 | |
安政4年 (1857) | 地震により、台所櫓、高欄櫓が大破する | |
安政6年 (1859) | 台所櫓再建 | |
万延元年 (1860) | 高欄櫓再建 | |
明治21年 (1888) | 海南新聞10月23日付けに、天守の取壊し作業が始まる記事が掲載。明治維新後の廃城は免れるが、老朽化を理由に天守は取り壊された | |
昭和28年 (1953) | 大洲城跡が県指定史跡に指定 | |
昭和32年 (1957) | 台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓及び三の丸南隅櫓が重要文化財に指定 | |
昭和34年 (1959) | 苧綿櫓の解体修理を完了、土台の石積みを2.6mかさ上げする | |
昭和40年 (1965) | 三の丸南隅櫓の解体修理が完了 | |
昭和45年 (1970) | 台所櫓、高欄櫓の解体修理が完了 | |
平成14年 (2002) | 天守復元工事起工 大洲城天守の復元は、慶長年間(1596〜1614)に建てられたといわれる天守の復元 | |
平成16年 (2004) | 天守復元工事完成 |
大洲城重要文化財建造物 <台所櫓・高欄櫓・苧綿櫓・三の丸南隅櫓> |
本丸の石垣 |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |