このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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昭和49年(1974)、創立百周年記念に建立された碑〜「出自幽谷遷于喬木」と刻まれ、ゆうこくよりいでてきょうぼくにのぼる(うつるとも読む)。2文字をとって校名を遷喬とした。ウグイスが深山の暗い谷間から飛び立ち、高い木に移ることに例えて、学問に励み立身出世することと解釈されている。(文は現地発行リーフレットより)

教室内部

■住所:岡山県真庭市鍋屋17−1 ■交通:JR姫新線久世駅から徒歩15分 ■重文指定年月日:平成11年5月13日指定

正面玄関〜明治40年(1907)に巨額な費用を投じて建てられた擬洋風建築。開校は明治7年(1874)8月2日、栄町の中国銀行久世支店の付近にあった久世代官所御蔵(年貢米倉庫)を校舎として開校した。平成2年(1990)の夏、小学校の役目を終える。

■遷喬小学校は明治7年に大庭郡久世村にあった御蔵を転用して開学した。学校名は中国の古典である「詩経」の一節である「出自幽谷 遷于喬木」から教育者の山田方谷が命名した。その後、建物の老朽化と生徒数の増加に伴い新築することになり、明治38年7月に着工し同40年7月に完成した。木造2階建で中央部を大きくつくり東西両翼棟を左右対称に配置する。屋根は、棟に寄棟の小屋根を置き、正面は左右対称に突出させた切妻屋根を設ける。屋根材は、当初は天然スレート葺であったが、後に中央部以外は桟瓦葺になった。外壁は、下見板張りを基本とし、筋交いをアクセントで入れる。基礎は煉瓦積みで花崗岩の切石を土台とする。設計は県の工師であった江川三郎八、監督は江川工師の紹介による中村錠太郎、施工は高橋岩吉である。なお、正面の屋根窓に描かれている校章は高瀬舟をデザイン化したものだが、「久世」の文字が織り込まれている。この校章は、江川工師自身が考案し採用されたものである。学校建築の基本が定まった後の学校建築の典型例として、また中国地方の学校建築の歴史を知る上で貴重である。(現地説明板より)

2階階段部分〜廊下は、幅広く分厚い松材を使用。校舎端のまわり階段の上下には橋の欄干を思わす細かい細工が施されている。

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