このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

日本百景
下津井海岸


下津井瀬戸大橋のたもとに位置する倉敷市下津井地区と瀬戸内海
 下津井は江戸時代に蝦夷地(北海道)のニシン粕を積んだ北前船、参勤交代の西国大名の船、諸国の商船などが出入りする大変賑やかな港として、また金毘羅往来の発着港として栄えました。
※日本百景とは、昭和2年(1927)に、大阪毎日新聞社、東京日日新聞社主催、鉄道省後援で日本八景が選定された際に、同時に日本二十五勝とともに選ばれた日本を代表する100の景勝地。


田之浦港脇の下津井瀬戸大橋
下津井瀬戸大橋の後方は、鷲羽山。

下津井港
下津井港と下津井瀬戸大橋(西からの眺め)。


鷲羽山山頂から望む下津井地区
下津井瀬戸大橋の前方左は、下津井町並み。町並みの右側、樹木が生い茂る所は下津井城跡、瀬戸大橋記念公園。さらにその右は鷲羽山ハイランド。

■冬の風物詩<下津井の干しダコ>
「JF岡山漁連ふゅ〜ちぁ〜」店内にて撮影

瀬戸内海の新鮮な魚介類や、干物、珍味が揃っている「JF岡山漁連ふゅ〜ちぁ〜」は漁協直送・地魚直売所。JR児島駅から徒歩5分
■下津井漁港から望む下津井瀬戸大橋と鷲羽山

下津井節
下津井港はョ 這入りよて 出よてョ
   まともまきよて まぎりよてョ

 この町に伝わる下津井節は、全国的に有名です。三味線の音にあわせ唄い継がれたこの民謡は、そのむかし港を訪れていた北前船の船頭たちによって伝えられたといわれています。
 「下津井港は入りよくて出よい。追い風を受けて走りよく、向い風のときはそれを左右に避けながら船を風上に進めやすい・・・・・」
下津井節の歌詞はそういう船乗りの素朴な実感が語られています。

■下津井海岸周辺図


 下津井は児島半島の南西端にあり、東から西へ並んだ港町で、大畠・田之浦・吹上・下津井の4集落を「下津井四ヶ浦」長浜と総称してきた。大畠と田之浦の間には鷲羽山が聳える。


<下津井町並み保存地区>
岡山県の町並み保存地区(昭和61年指定)

 下津井は瀬戸内海に面する歴史の古い港町で、奈良・平安時代の記録にも記されています。江戸時代の初めには備前藩の出城として、背後の山にあった小城を改修して下津井城が築かれました。その後、この城は一国一城令で廃城となりましたが、往時を物語る石塁等は今でも残っており、岡山県指定史跡となっています。
 下津井が本格的な港町として栄えたのは江戸時代中期以降からで、北前船や御座船等で大いに賑わいました。また、四国への渡海港としても金毘羅参りの人々等でも賑わいました。 
 今でも当時の商家やニシン蔵跡などが残され、猟師町の雰囲気もよく残っています。これらの建物は、本瓦葺で漆喰壁やなまこ壁とし、窓には虫籠窓や格子戸を備えており、歴史的な景観をとどめています。


「中町町並み」


「まだかな橋跡」

下津井城跡から見た「祇園神社(中央の樹木部分」


「砲台跡」(下右)と「櫃石島」

「祇園神社」

「下津井城跡」


<むかし下津井回船問屋>
 「むかし下津井回船問屋」は、今に残る廻船問屋の建物をできるだけ当時に近いかたちで復元し、交流や観光など幅広く利用できる施設としてオープンした。この建物は、江戸時代に金融業と倉庫業を営んでいた荻野家の分家の西荻野家の住宅を、明治初期に廻船問屋高松屋(中西家)が取得したもので、商家の母屋やニシン蔵として使われていた。建物の内部には、母屋を中心に、むかしの下津井にまつわるさまざまな資料を展示している。また、下津井の歴史・文化、観光情報を提供する「いんふぉめーしょん館」、小イベントもできる「蔵ほーる」、地元の特産物を販売する「しょっぴんぐばざーる館」などがあり、目的に応じて活用することができる。

入館料〜無料
開館時間〜9:00〜17:00
休館日〜火曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始(12月29日〜1月3日)

「むかし下津井回船問屋」母屋
右端は廻船問屋の衣裳蔵を復元した建物「蔵さろん」。

「蔵さろん」
現在は休憩・会合に利用されている。なまこ壁でおおわれたこの蔵は、むかし下津井の町並み景観をよく伝えている。


「むかし下津井回船問屋」母屋入口

「母屋一階」
店の間、座敷、茶の間、台所などそれぞれに当時のたたずまいが再現されている。


「江戸時代の北前船」
母屋一階に展示している北前船の復元模型。母屋を通り抜けると右写真の広場となる。

「むかし下津井回船問屋」建物の内部
母屋(右の建物)を中心に、蔵さろん・おーぷんきっちん・蔵ほーる(左端の建物)・いんふぉめーしょん館・しょっぴんぐばざーる館・収蔵庫などがある。


<下津井共同井戸>
下津井共同井戸群の一つ「鶴井戸」〜奥後方の井戸は亀井戸。
 下津井の町並みにはいくつもの井戸が点在し、中には複数の家で使用する共同井戸も見られます。
杓井戸・寺井戸・鶴井戸・亀井戸がそれです。
 これらの共同井戸では井戸ごとに使う家がきまっており、その管理も使用する家々が厳しく行っていました。これらの井戸は江戸時代以降、下津井に暮らす人々の飲料水の供給源でした。また、港へ寄港する船に供給されたり酒造りにも使用されたりしました。
 人々の生活を長い間にわたって支えてきたこの共同井戸群は、かつての下津井の繁栄を今に伝える記念碑ということができるでしょう。

○倉敷市指定史跡
○指定年月日
  昭和45年3月20日

<風の道>
 平成2年廃線となった下津井電鉄の軌道敷跡地を歩行者と自転車専用道として整備したもの。延長は約6Kmで周辺住民の方々が季節ごとの花を植え競艇場から下津井までは海の景色や野草、自生している木々などを楽しみながら歩く事が出来る。

      

「旧下津井駅」

「風の道」

    

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