このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

出雲街道新庄宿

日本の音風景百選
新庄宿の小川

■清涼感のある音色を奏でている石積みの水路

 がいせん桜通りの町並みは旧出雲街道の宿場町の面影をとどめ、脇本陣のほか古い格子のある旧家等が地域の方々の手で大変良く保存されています。

 また、岡山県の郷土記念物にも指定されているがいせん桜は、四季折々の変化に富んだ姿を私達に見せてくれます。
 このような歴史的な町並みと美しい町並木、そして両側の清流の水路などが一体となって、この地域の歴史を感じさせるうるおいのある景観をかもしだしています。このすばらしい景観、そして、これを愛し、守り育てている地域の方々の努力が高く評価され、県内の優れた景観を創出している町並みや建築物などを表彰する岡山県主催の第1回「おかやま景観賞」を受賞しました。

石積み水路

石積み水路と洗い場
地域の人々の生活用水として大切にされている。


脇本陣木代邸(新庄村指定文化財)

脇本陣〜江戸時代末期の代表的な建物です。式台があり、見越しの格子、親子格子の出格子を取りつけ、2階は大壁造りで、1階は真壁造り、腰はささらこ下見板張りという造りです。入り口の柱には、馬つなぎの環があり、トイレには今でも刀掛が残っています。

雲州候本陣
 寛永12年(1635年)に参勤交代がきまり、出雲街道をいつも通っていたのは、松江藩松平であった。元禄2年(1689年)の文書によると、この町並みに御茶屋1軒あり、松平出羽守が通行の折りには、毎年昼休みをされたという。
 佐藤家が松平指定の「御茶屋」になったのは、寛文6年(1666年)であり、その後の宝暦7年(1757年)に「本陣」役の請負ができた。この頃から松平藩主は、昼休みだけでなく宿泊もするようになったのである。
※雲州=出雲国の別称。現在の島根県東部にあたる。
 

がいせん桜祭りの様子新庄村特産のもち米「ヒメノモチ」を使用し、杵と臼による日本伝統の“もちつき”でついたお餅をいただきました。
 
 
がいせん桜並木のトンネル

 
旧出雲街道新庄宿場町通りの両側に植えられた樹齢約100年の桜137本が見事に満開



岡山県真庭郡新庄宿

【出雲街道】    
■陰陽を結ぶ道〜古代はヤマトとイズモを結ぶ道でした。奈良時代は運脚の道であり、出雲国造の神賀詞奏上の道でした。慶長9年(1604年)には、出雲街道に一里塚がつくられ、慶安元年(1646年)には、播州境いの万能乢まで整備されて、この道を通る人々は増えていったのです。
 松江藩主の参勤交代や、公儀諸役人や公家息女の輿入れの道でした。また、東参り(伊勢神宮)西参り(出雲大社)への旅人も通り、江戸と松江を結ぶ「七里飛脚」の通る回数も多かったのです。
■出雲街道二十一次
出雲街道は、姫路より松江まで約220キロ、岡山県内は作東町の万能乢より新庄村の四十曲峠までが、約90キロです。その間は、播磨ー六次 美作ー八次 伯耆ー四次 出雲ー三次 でした。

■国境い山地の宿場〜ここは出雲街道一の難所である四十曲峠をひかえた宿場町でした。江戸時代より家が建ち始め、元禄2年(1689年)には47軒江戸末期には100軒ばかりの町並みとなった。
■桜と水と鯉の町〜現在の町並みは、日露戦勝記念に植えた「がいせん桜」並木であり、春は花、夏は青葉に、秋は紅葉、冬は雪の花となります。両側を流れるきれいな水には、せせらぎの音(「日本の音風景百選」に選定)があり、鯉もおよいでいます。これらと一体になった宿場町の景観は、全国どこにでもはみられないものです。
※日本の音風景百選=1996年に当時の環境庁(現・環境省)が「全国各地で人々が地域のシンボルとして大切にし、将来に残していきたいと願っている音の聞こえる環境(音風景)」を公募。これらのうちから音環境を保全する上で特に意義があると認められる100件を選出したもの。

▲宝田橋

▲新庄川と土手沿いのしだれ桜通り

(現地案内板より)

出雲街道 新庄宿町並み

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