このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

    しもついじょう
 下津井城
 
『所在地』 倉敷市下津井

下津井城は、岡山県において岡山城・備中松山城・津山城に次ぐ近世城郭といえる

児島半島唯一の
    近世城郭

瀬戸大橋

下津井漁港と瀬戸内の島々

■城跡からの眺め■

【沿革】 
 
文禄年間(1592〜96)に、宇喜多秀家が既存の小城を改修したといわれる。秀家が関ヶ原の役(1600)で敗北したあと備前に入った小早川秀秋は、瀬戸内海の制海権を考えてこの城を強化した。しかし、秀秋が病死して小早川家が断絶後、慶長8年(1603)、池田忠継(徳川家康の外孫)が備前藩主となり、老臣池田長政(禄高3万2千石)の守るところとなり、城郭に一大整備がなされ城は慶長11年に現在の遺構にみるような本格的な形態をととのえるに至る。のち池田由之、荒尾但馬、池田由成の歴代城主を経て一国一城令(1615)の制令のため寛永16年(1639)廃城となり、池田由成は倉敷市藤戸町天城に移って陣屋を構える。

▼北側からの下津井城址
後方(南側)には瀬戸内海、瀬戸大橋を望む。

▼下津井城は、連郭式平山城(標高88m.)で丘陵に沿って東西に縄張されている。本丸は最高所にあり北側に一段高い天守台がある。本丸の西に二の丸、本丸から東に下ると三の丸、中出丸、東出丸へと続く。城の建物は残っていないが、石垣などは良好に保存されている。近世城郭の遺構として貴重な城郭である。なお、城門のひとつが倉敷市藤戸町天城にある正福寺に移築されている。

{下津井城址周辺図}
三の丸跡南面石垣

石段を登ると本丸跡で、ここは城山の頂上

■その他の遺構■

倉敷市藤戸町天城にある正福寺に移築された城門

■移築城門■

中の丸跡

後方は瀬戸内海に架かる瀬戸大橋

■中出丸跡■

三の丸から中出丸の間ある掘割跡

遊歩道となっている底部

三の丸跡

■三の丸跡■

一段と高い天守台跡

本丸跡〜右側(本丸の北)に天守台が位置する

本丸跡に建つ下津井城碑

■本丸跡■

二の丸跡

二の丸跡の石垣

■二の丸跡■

西の丸跡に残る土塁

西の丸跡

馬場跡よりみた登城道後方の西の丸

■西の丸跡■

下津井城址を巡る

㊤北側より望む下津井城址全景
後方が瀬戸内海
㊧瀬戸大橋記念公園の駐車場

■岡山県の訪問城に戻る

※左図は下津井公民館前の案内掲示板より
※二の丸跡・現在地にある説明板より

岡山県指定史跡 下津井城・三の丸石垣

■掘割■

▼城跡は公園となって、登城道も整備され、各所に休憩所が設けられている。

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