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丸亀藩の支藩・多度津藩/多度津藩主京極家1万石の陣屋跡
多度津陣屋

 【所在地】香川県仲多度郡多度津町

◆藩政時代の多度津陣屋図◆
■多度津藩は丸亀藩の支藩として元禄7年(1694)に発足した。初代多度津藩主は京極高通(きょうごくたかみち・丸亀藩第2代高豊の子)である。しかし、高通ら歴代の藩主は丸亀城内に住みつづけ、多度津に陣屋を築いて移ったのは第4代の高賢(たかかた)の代で、約130年後の文政7年(1827)のことであった。5代藩主高琢(たかてる)は、天保9年(1838)多度津湛甫(たんぽと読み、港のこと)の大工事によって多度津港の基盤を築き、以来、幕末から金毘羅参りの船着場として、北前船の寄港地として繁栄した。
■現在も家中と呼ばれている地域は、陣屋を中心として構成された士族町で、城下町の一端を形成している。東門より大手門に通ずる四間半道路の大手筋、これを中心にカギの手型の袋小路、いかめしい土塀と門構えなど、また陣屋要所の門に番所があって、庶民にとって威圧を感じる屋敷町であった。「西讃府志」に当時のもようを次のように記している。北方海をうけて御陣屋の廓外西南に回りて入江あり、海水往来して舟泊り(古湛甫)あり。この内諸士の宅者軒を並べ、甍を連ねて繁りあえり。さてこの海浜、むかしより舟泊りの津にて、いまも東町、洲家町、中之町、堀之町、角屋町、門前町、田町、浜町、新町などすべて九町、農商相まじり此屋いらかを連ねて一都会たり。
■現在、付近には、武家屋敷(大手東門の近く)、堀跡(剣術道場の前)などが残るが、遺構は殆んど無くなっている。旧多度津藩士・浅見邸跡には、多度津町立資料館が建っており、多度津陣屋を理解するためには資料館訪問は欠かせない。(陣屋図は、資料館資料に一部加筆) 
◆多度津陣屋模型◆

■多度津藩陣屋模型は、多度津町立資料館にて撮影・加筆し転載。多度津陣屋の完成は、文政10年(1827)。廃藩は、多度津京極藩第6代・高典(たかまさ)の時で、明治4年(1871)。現在、調練場辺りが大通り、大手門から大手東町が家中(かちゅう)となる。○印のところに多度津町立資料館が建っている。 
多度津町立資料館◆
■多度津町立資料館は、町政施行100周年を記念して建設されたもので、主として多度津にゆかりのある文化財等の資料を収集して一般に公開し、これを後世に遺すことを目的としている。なお、当館の敷地及び美術・工芸品の一部は、旧多度津藩士浅見家から寄贈されたものである。

▲多度津藩家紋入鬼瓦

▲高見八幡宮奉納模型和船(香川県指定有形民族文化財)
宝暦5年(1755)に高見八幡宮に奉納された弁才船の模型和船で、奉納年代が県内で最も古く全国では3番目に古いもの。 

▲館内の様子

▲都名所蒔絵御書棚 

▲昭和44年に向山1号墳から出土したものである。鉄刀(町指定文化財)の鍔(つば)には、銀象嵌(ぞうがん)が施されている。

▲資料館(道路左手)前の町並み。かつての陣屋跡も今ではこのように宅地化されている。 
◆多度津陣屋周辺図◆
■多度津陣屋跡は、概ね「家中」からJR多度津工場のある「大通り」の範囲となる。
■多度津資料館までは、JR多度津駅より徒歩約10分。
(多度津陣屋周辺図は現地案内板に一部加筆の上、掲載)


◆桃陵公園◆
桃陵(とうりょう)公園概要
■桃陵公園は、中世の豪族香川氏が居館を構えた本台山(多度津城)一帯で、その面積は10.06haである。
■小高い丘の公園には、ドライブウエイと遊歩道が整備されている。公園北端に設けられた展望台の眼前は、江戸時代から明治にかけて、金毘羅詣りの船や北前船で賑わった多度津港である。その展望台下、本瓦葺きの民家の町並みにその時代の賑わいを見ることができる。また、正面のあくまで青い海に、瀬戸の島々が点在している。公園内には、2.500本の桜があり、県内でも代表的な桜の名所である。

▲桃陵公園のシンボル「一太郎やぁい」の像

▲多度津港 
◆多度津京極藩(1万石)陣屋跡を偲ぶ◆

陣屋の構成は、現大通り・家中一帯に藩主の居館を中心として、東部に家臣団の住宅街、西部に調練場、そして学館・練武館などの関係施設を配した造りとなっている。

■多度津町指定史跡 京極氏旧多度津藩家中屋敷
多度津陣屋は、現JR多度津工場周辺及び東新町の中央を占め、南石橋門(極楽橋)、大手東門新町御門(天満宮西詰)を外郭として大手筋とよばれるこの通りを中心に鍵の手袋小路など西側の土塀や白壁造りと共に武家屋敷町独特の構えを示している。東御殿(おひがしごでん)は、元家老350石林氏の屋敷で今も一部昔の姿をとどめ、これより西に藩主の御殿、大手門に通ずる土橋があって長さ200間余りの蓮堀をめぐらしていた。昔は要所5〜6ヶ所に井戸も備え、門前の防火用飾り桶など落着きのある静かなたたずまいは、家中屋敷の面影を今なお偲ぶことができるであろう。 多度津町教育委員会

(現地案内板より)

             
             ■大手東門新町御門(天満宮西詰)辺りの様子

▲旧多度津藩京極家  武家屋敷 冨井家
位置は、大手東門のすぐ近く(南側)。
 

▲旧多度津藩京極家  陣屋 御厩跡
冨井家の向い側。


蓮堀跡の石碑
東御殿と大手門の間に造られた200間余りの堀。


▲大手門側から見た蓮堀跡
歩道と道路の後方が、剣術道場跡、藩校自明館跡と考えられる。資料館は、道路を左に曲がった先の右側になる。

▲旧多度津藩お舟だまり跡と桜川

▲JR多度津工場
ここは、調練場跡、藩米庫跡辺りと思われる。
◆JR多度津駅前の見どころ◆

▲JR多度津駅
駅前には、中国から寄贈された太湖石や蒸気機関車の動輪の展示、また、多度津町が少林寺拳法発祥のまちである案内がされている。

▲太湖石
この石は、多度津町と中国上海市普陀区との友好交流5周年を記念して普陀区より寄贈されたもので、上海市の隣り、無錫市の太湖(琵琶湖の3倍以上の広さ)のほとりでとれた珍しい石灰岩系統の石である。永い年月、湖水の波に打たれて自然に穴が空き、奇形造形された大自然の傑作で、抽象的な彫刻作品ともいわれ、中国では、友誼・幸福・安詳・和平の象徴とされている。


▲少林寺拳法発祥のまち
少林寺拳法は、昭和22年(1947)、開祖宗 道臣(1911〜1980)がここ多度津町で、人づくりの「行」として創始した。宗道臣は、「半(なか)ばは自己の幸せを半ばは他人(ひと)の幸せを」という基本理念と一体となった教育システムを創り上げ、これを“少林寺拳法”(SHORINJIKEMPO)と名づけた。

▲四国鉄道発祥の地
明治22年讃岐鉄道(株)が多度津を起点に丸亀〜琴平間で営業を始めたのが当社の鉄道の始まりである。そのころの多度津駅は、この地点より西へ約1km(多度津町大通り、JR多度津工場の西側)の所にあった。その後、現在地に移転。ここに展示してある車輪は、昭和10年から42年頃まで、四国の山野をかけめぐった、おなじみの8620形蒸気機関車の動輪。

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