このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
高田城物語
■高田城は春日山城の南東約6km、同じ新潟県上越市本城町にある近世城郭。
徳川家康の六男松平忠輝の居城として、1614年(慶長19)に築かれた。それまで忠輝は、上越市にある堀氏が築いた福島城に在城していたが廃棄し、新たに築いた高田城へ本拠を移した。
■高田城は天下普請の城で、加賀の前田氏、米沢の上杉氏など13の大名による国役普請で築城され、忠輝の舅伊達政宗が普請総裁として指揮をとり、大阪の陣を目の前にして、わずか4ヶ月たらずで竣工させた。短期間の工事だったために石垣がなく、すべて濠と土塁によって造られた平城。また城のシンボルである天守は築かれず、三重櫓が天守の代役を果たした。
■忠輝が父家康の不興をかって改易処分とされたのち、高田城には、松平家や譜代大名が城主として封じられ、榊原氏15万石の時代に明治維新を迎えた。城は1870年(明治3)の火災で全焼する。現在、城跡には築城当時の土塁と堀が伝えられるとともに、1993年(平成5)に三重櫓が復興されている。
水堀と土塁、土塁上に建つ三重櫓。三重櫓は、1993年(平成5)、発掘や古絵図などの調査にもとづき模擬復元。
▼高田城三重櫓▼
▼極楽橋(模擬復元)
二の丸から本丸に通じる内堀を渡る木橋として設けられた。
“スライドショー”
「高田城三重櫓」と「水堀」をさまざまな角度から望む
▼池のような水堀(内堀)に架かる極楽橋
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