このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

【概略】〜鷹ノ巣城跡は、倉敷市矢部字大山谷、日差山毘沙門堂から西北へ約800m余りの所にある江田山(標高227m)の北端に位置する。日差山と江田山はつながっており、この辺り一帯に小早川隆景は兵2万を率いて陣を構えた。山は、岡山市と倉敷市の境にあり、倉敷市矢部、山地、宿および岡山市新庄上、新庄下にまたがり、東北西は嶮岨な断崖絶壁、南方はところどころに石垣が残る。城跡は、東西約30m、南北約40m。元県指定史跡。
【登城ルート】〜サークルK前の道を山陽自動車道に架かる陸橋をめざして行き、陸橋を横切り道なり進むと、途中二つに分かれる所があり、そこを右斜めに上がっていくと毘沙門天となる。車はここまでで、ここに駐車できます。毘沙門天からは、倉敷北部全山縦走コースを進む。しばらく歩くとT字路となり(標識有り)、ここを右方向に進み、江田山山頂を過ぎると城跡まですぐ。T字路の場所から約10分で鷹ノ巣城跡に辿り着く。登城日:2012年4月
鷹ノ巣城跡からの展望。眼下に造山古墳、その北に庚申山(毛利軍、吉川元春陣跡)、北東に備中高松城、石井山(羽柴秀吉本陣跡)が望める。隆景が陣を構えた鷹ノ巣城からは、毛利軍と織田軍の陣地全体を見渡すことができる。隆景は高松城を救援しょうとしたが、秀吉軍の水攻めの後は動くことができなかった
鷹ノ巣城跡
 
江田山山頂。ここから鷹ノ巣城跡までもう少し

南側に残る石垣。石垣を超えた所が下の写真(左・右)で主郭となる
 
戦国期の山城「鷹ノ巣城跡」主郭部分。ここで行き止まりとなり、周囲を見渡しても城跡らしき痕跡は、石垣以外にみられない

北から見た「鷹ノ巣城跡」主郭部分
(現地説明板より)
T字路の案内板。城跡まで片道約10分



日差山。ここから縦走ルートを約10分行くと写真のT字路に辿り着く
<毘沙門天〜倉敷北部全山縦走コース>
さらに鳥居をくぐり石段を一番上まで登った所が写真
左奥の案内板前を通って巨岩の脇を上がっていくと写真となる
「日差寺・毘沙門天」下の広場。駐車可。鳥居をくぐり参道を登ると、写真に至る
天正10年(1582)備中高松城水攻めのときの、小早川隆景(毛利軍)の陣所跡
T字路。右が鷹ノ巣城跡、左が仕手倉山

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