このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
|
■楯築遺跡■
|
王墓山古墳(県指定史跡)から望む楯築遺跡
国指定史跡(昭和56年12月9日指定)の楯築遺跡は、弥生時代後期の墓で、団地造成工事、給水塔などの工事により大きく破壊されたが、発掘調査により往時の姿が判明。
<所在地>倉敷市矢部
|
|
━楯築地区案内━
楯築地区は、楯築弥生墳丘墓と二つの古墳群からなる。東側の西山古墳群には2基、南側の向山古墳群には10基の古墳が現在公園内にみられる。
これらの古墳は、墳丘の流出が著しくかつての姿をとどめていないが、いずれも横穴式石室を伴っており、おおむね古墳時代後期(6世紀後半頃)に築造されたものと思われる。
(現地説明板より) |
楯築遺跡入口
左の丘陵上が楯築弥生墳丘墓付近。
|
楯築弥生墳丘墓
巨大な立石(列石)が目を引く。 |
向山古墳群 散策路入口
|
向山古墳群 9号墳 |
県指定史跡 王墓山古墳 昭和34年3月27日指定 |
古墳時代後期(6世紀後半頃)につくられた古墳である。かつての開墾や宅地造成などにより墳丘はかなり変形を受けているが、もともとは25m程度の規模をもつ円墳ないしは方墳と考えられる。
内部主体には横穴式石室を有していたが、石室は明治末頃に石材として切り出されたといわれ、今は見ることができない。墳丘南東側に安置されている石棺は、この時に多量の副葬品とともに石室内からも持ち出されたものである。
石棺は7枚の石を組み合わせた家形石棺で、石材には井原市浪形に産する貝殻石灰岩を用いている。同種の石棺を有する古墳は、総社市こうもり塚古墳など数例しか知られておらず、しかも有力な古墳に限られている。
出土遺物には、四仏四獣鏡をはじめ金銅装馬具・鉄製武具・装身具類・須惠器など多種多量の副葬品が知られており、それらは現在東京国立博物館に収蔵されている。
これらの豊富な副葬品や家形石棺の存在などから、王墓山古墳は、この地方においてかなり傑出した存在であったことがうかがえる。
(現地説明板より) |
王墓山古墳 |
墳丘南東部の石棺
|
(写真上)楯築弥生墳丘墓の測量図〜線や点線で囲んだ部分は発掘調査を行った場所。給水塔の位置が南西突出部の中央にあたる。
(写真右)楯築弥生墳丘墓中心埋葬の発掘〜長さ9mの墓壙(ぼこう・棺を納める穴)の中央に木棺・木槨(もっかく・棺や副葬品を納めるための、木の外箱)を捉え、剣と玉が副葬された。手前の石列は排水の施設。
南西突出部先端の列石〜高さ1m弱の花崗岩の石が15m以上にわたってならべられている。
楯築弥生墳丘部
旋帯文石(せんたいもんせき・国重文)
もと主墳上にあった楯築神社のご神体として伝世されてきたもので、帯状の複雑な入組み文様が刻みこまれている。
北東突出部
団地造成工事で破壊された法面(のりめん)。
南西突出部
給水塔の工事で破壊された突出部。右端の建物は収蔵庫で弧帯石が収められている。
<現地説明板より>
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
|