このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

とみやま
富山城(岡山市矢坂東町・矢坂本町)

別名「矢坂城」。伝承では、885年(仁和1)、土地の豪族・富山大掾(だいじょう)が築城して居城としたとあるが定かではない。応仁の乱で軍功をあげた金川城主の松田元隆が、富山氏から富山城を奪い拠点とした。1570年(元亀1)、宇喜多直家の攻撃を受けて松田氏は滅ぼされる。直家は弟忠家を城主としている。以後宇喜多氏の出城となったが、関ヶ原合戦後、備前に入った小早川秀秋により廃城とされた。

⑤ 途中の景色。立札には、桜植樹記念・矢坂山遊歩道と書かれている。

 茂みの中を登って行きます。本丸へ至る表示が無いので足跡をたどりながら登っていきました。

▼富山城跡全景〜矢坂山は、花崗岩の採掘が行われ、本丸周辺の山肌は削り取られている

 上の地図のが下の写真場所。城跡へは手前の道を行く。手前の道が右の写真。本丸まで約30分。

⑦ ここにもと同じ内容の立札が立つ。

◎富山城跡周辺図

富山城本丸跡

 もうすぐ矢坂山の頂上に辿り着きます。

 ここが矢坂山の頂上(標高131.6m)です。二の丸跡で、大きな石が重なり合っており、この場所から左方向に本丸が位置します。

 南出丸跡に到達

 登城路

④ 樹木の中央の道を進む。

 この間の道を登ると、右の写真場所。

② この道の先が、の写真。

◆写真㊨㊦ 本丸の石垣
※南出丸跡に立つ標識。「戦国時代 山城址」と書かれています。
※右側には「南出丸址」と書かれています。

 城跡へは、総社に向って国道180号線を行き、矢坂大橋の手前を左折し、矢坂小橋を渡り南へ少し行くと、右側に祠があり、その前から山に向って登山口まで行きました。このルートも分かりにくい道ですが無難だと思います。
 (地元の人に聞くと、他にも登り口はあるということで訪ねてみましたが、標識も無く全くわからず引き返しました)

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