このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
三重の模擬天守(富山市郷土博物館)が本丸枡形虎口の石垣上に建つ | |
【所在地】 富山県富山市本丸 【交通】 富山駅より徒歩15分 【立地】 平城 【築城年】 天文12年(1543)頃 【築城者】 神保長職(じんぼうながもと) 【主要城主】 神保氏 佐々氏 前田氏 訪城日 平成30年(2018)5月再訪問 | |
富山市役所展望塔から望む富山城・城址公園 | |
【歴史】 富山城は、神通川東岸の自然堤防上に築かれた。天文12年(1543)、越中東部に進出した神保長職が築城して居城とするが、永禄3年(1560)、上杉謙信に攻められ落城。その後、一時的に一向一揆が占拠するが、謙信が出陣して排除する。 天正8年(1580)、越中に侵攻した織田軍団の武将佐々成政(さっさなりまさ)が入り、柴田勝家や前田利家などとともに、上杉景勝の軍勢を越中東部に圧迫した。成政は織田信長が本能寺で倒れたあとも越中に踏みとどまり、富山城を本拠に越中を統一する。成政は富山城を織豊系統郭として大改修したと思われるが、その改修の状況は明らかでない。 天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いに際し、成政は徳川家康と結び、羽柴(豊臣)秀吉に味方した前田利家と越中・能登・加賀の国境付近で死闘をくり広げる。天正13年(1585)には、秀吉がみずから大軍を率いて越中に侵攻し、富山城の成政を攻めた。成政は降参し、越中半国は召し上げられ、富山城は破却される。成政は天正15年(1587)、肥後(熊本県)に転封になり、越中は前田氏の領国になった。 寛永16年(1639)、前田利次が初代藩主となり、加賀藩から10万石で独立して富山藩が成立する。居城となる富山城は加賀藩時代に再興されたが、火災等で損耗が著しかったため、寛文1年(1661)、幕府の許可をえて修築が行われた。その後、富山城は富山前田家の当主が代々城主になり明治維新を迎える。富山前田家13代の居城となった富山城も明治6年(1873)に廃城。 現在、本丸南面の石垣と水堀が残り、それに沿って昭和29年(1954)に開催された富山大産業博覧会の際、戦災復興のシンボルとして模擬天守が建てられた。博覧会終了後は、富山市立郷土博物館として開館した。 (文は「小学館ウイークリーブック 真説 歴史の道」より) | |
【佐々成政】 (1536〜1588) 戦国武将。尾張国生まれ。織田信長に仕えて武功を立て、天正3年(1575)越前府中(武生市)に入る。天正8年、越中に派遣され、同10年富山城主となる。 本能寺の変後、豊臣秀吉に従い、越中を平定。しかし、秀吉と対立し、また加賀の前田利家とも争ったため、同13年、秀吉による征討を受け降伏する。その後身柄は大坂に移され、領地も削られて新川郡のみとなる。同15年、成政は肥後一国を与えられ熊本に移るが、翌年、失政を理由に切腹させられた。 (文と写真は郷土博物館展示より) | 【前田正甫(まさとし)】 (1649〜1706) 富山藩第2代藩主。初代藩主である父利次(としつぐ)の後をうけ、文武の振興を図り、新田開発や産業育成など、藩政の充実に力を注いだ。正甫本人は古銭収集家という文化人としての性格も知られている。正甫は富山売薬の基礎を築いた人物としても有名。それは「反魂丹(はんごんたん)伝説」という形で語り継がれています。 元禄3年(1690)、正甫が参勤交代で江戸城に登城した折、とある大名が激しい腹痛を訴えました。そこで懐中に常備していた「反魂丹」をすすめたところ、たちどころに治りました。その様子を見た諸大名は「反魂丹」の効能に驚き、自分の領内での販売を求めるようになったため、正甫の命で諸国に行商させたのが富山売薬の始まりであるという伝説です。この伝説により、正甫は「富山売薬を広めたお殿様」として、いまでも市民の間から親しまれているのです。 (文は現地説明板より) |
【縄張】 中心に正方形の本丸を置き、西に西出丸、東に東出丸、南に二の丸を配する縄張となる。なお、東出丸と二の丸は馬出曲輪の機能をもち、虎口には枡形虎口が採用されるなど、きわめて実践本位な築城法で築かれている。 さらに、これらの曲輪の西・南・東3面を覆う広大な三の丸が配置される。堀は、内堀と外堀の二重の堀が築かれ、城の周辺を流れる神通川やいたち川を利用して城の守りを固めていた。 (図は現地説明板より) | |
■城址公園内に残る遺構■ (写真は郷土博物館展示より) | |
①堀と土橋〜本丸南面の石垣・水堀・模擬天守 内堀・外堀の内、現在残っているのは内堀の一部です。戦前、東側の堀を清掃したところ、堀の底から水が涌いていたと伝えられています。江戸時代は、このような湧水によって堀の水を維持していたと考えられます。 | ①模擬天守から見た堀と土橋 写真上部の土橋を渡った部分は二の丸跡で、この場所には2階櫓門(現存せず)が建っていた。その後方の市街地は三の丸跡となり大手門があった。堀を渡る土橋は、当時と同じ位置にある。 |
②石垣と枡形・搦手門 搦手門(枡形形式の門)は、本丸の裏門であり、東出丸への出口であった。また北側(右側)の石垣は、江戸時代しばしば崩れ修理されている。 | ②搦手門に残る石垣 隅角は算木積みとなっている。 |
③石垣と枡形・鉄門 ここには、本丸の正門である枡形形式の鉄門(くろがねもん)があった。鉄門とは、鉄板を扉などに張った門であり、本丸の正門に用いられることが多い形式の門。 | ③石垣と枡形・鉄門 枡形虎口(城内側)。正面は模擬天守。 |
④土塁 富山城は、土塁を主体とした城であった。現在、土塁の多くは崩されてしまい、わずかに本丸南側だけが残っているが、この部分も戦後になって法面(のりめん)に石を積んだため、旧状を見ることは出来ない。 | 土塁跡 西の丸南側の土塁跡。神保氏時代は、土塁を防御の中心とした「土の城」であった。 |
■富山城の石垣の特徴■ 鉄門内枡形の鏡石 | |
鏡石とは、石垣の石材の中でも特に巨大な石を指し、設置目的については、城主の権力を見せつけるためなど、いくつかの理由があげられる。富山城の場合、慶長期の整備の際に据えられ、寛文期の改修の際、現状のように配置したと見られている。鏡石は、東面と北面に各2つ、西面に1つの計5つある。 | 鏡石配置図A部分(北面)の2つの鏡石 |
B部分(東面)の2つの鏡石 | C部分(西面)の鏡石 富山城の石垣について 富山城の石垣は、富山を隠居の地とした加賀藩第2代藩主前田利長が、慶長10年(1605)以降に整備した石垣がはじまりと考えられています。その後、江戸時代前期の寛文元年(1661)以降に、富山藩初代藩主前田利次が改修し、現在見られる石垣となっています。 富山城は土塁主体の城郭であり、石垣は、城内中枢部を守る鉄門、搦手門、2階櫓門(現存せず)の3ヵ所に築かれていました。現存する石垣は、富山県内の早月川や常願寺川産の玉石などを割って使用したり、あるいはそのままの形の石が、「野面積み」技法で積まれています。それらは、石の丸い面を表に向けていることが特徴です。 ただし、鉄門の内枡形では、方形に加工した石材を水平に積む「布積み」技法の部分もみられます。 |
C部分の鏡石が据えられた多聞櫓石垣 | 天守から見た多聞櫓石垣 |
市指定文化財(建造物) 富山藩10代藩主前田利保(としやす)が隠居所として造営した千歳御殿の正門で、嘉永2年(1849)に建築されました。当時は、埋門と呼ばれ下図に示すとおり城址大通りの東側に位置していました。 総欅造りの三間薬医門で、屋根は切妻造本瓦葺、桁行6m、梁間1.9mになります。同一建築様式の城門は「東大の赤門」として知られる旧加賀屋敷御守殿門(国重要文化財・東京都文京区)など数少ないことから、県内はもとより全国的に見ても貴重な江戸時代の城門です。 この門は、明治時代初期に赤祖父家に移されました。その後、富山市が所有者から寄附をうけ、平成18年から20年にかけて城址公園内に移築しました。 富山城で唯一現存する千歳御殿の創建当初の建造物です。江戸時代後期の御殿正門の様式や意匠及び技法を知るうえで価値が高く、平成20年10月29日に市指定文化財に指定されました。 | |
千歳御門位置図 | 千歳御門の屋根瓦(左)と鬼瓦 |
国登録文化財 富山市郷土博物館(模擬天守) 城内から望む郷土博物館。富山城や千歳御殿に関する展示を行っている。 | |
昭和29年、富山城址一帯で富山産業大博覧会が開催されました。これは、昭和20年8月2日未明の空襲によって、壊滅的な被害を受けた富山市街の復興事業完了を機に開催されたものです。その際、記念の恒久建築物として建設されたのが富山市郷土博物館(富山城)です。 旧本丸鉄門(くろがねもん)跡の石垣上に建てられた、鉄筋コンクリート造りの建物で、望楼を乗せた3重4階の天守、2重2階の小天守など、城郭の意匠でまとめられています。その外観は、彦根城や犬山城などの現存天守を参考に設計されており、戦後の天守閣建設のさきがけとなりました。博覧会の会期中は、「美の殿堂」として各種の展覧会が開催され、最上階の展望台からは富山市街のみならず立山連峰が一望できたため、多くの人で賑わいました。 会期終了後は郷土博物館として活用され、郷土のことを紹介する中心的な博物館であるとともに、中心市街地のランドマークとして広く市民に親しまれています。平成16年、国の登録文化財として登録された。 | |
(上)大手門跡 (右)大手門跡周辺図 地域別訪問城に戻る |
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