このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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【解説】
全長約138m、後円部径約81mの大形前方後円墳。3世紀末頃に造られたと推定されています。本古墳は、前方部の形状が、初期の前方後円墳に特有の形態(三味線の撥のような形を呈するなど)をもち、吉備地方最古の前方後円墳と想定されています。後円部は、高さが約13.8mあり、三段で築かれています。現在頂上には、巨大な乱掘壙が残されています。その地中深い位置には、長大な木棺を収めるための、長さ7m近い竪穴式石槨(たてあなしきせっかく)が、板状石を積み重ねて造られています。
近年(1988)の発掘調査により、銅鏡(細線式獣帯鏡)、銅鏃(どうぞく)・鉄鏃(てつぞく)・鉄刀・鉄剣といった武器類、鎌やスキ先など農具類、鑿(のみ)や斧など工具類、ヤスなど漁具類などが乱掘を免れて確認され、質量ともに豊富な副葬品の一端が窺われました。また都月型埴輪(直線と曲線からなる特徴的な文様が刻まれた最古式の円筒埴輪)が採集されています。
この古墳に埋葬された人物は、古墳時代初頭の、備前に君臨した大首長と想定されています。しかも当古墳は、畿内最古の前方後円墳とされる奈良県桜井市の巨大な箸中山古墳(箸墓)の、2分の1の大きさに造られているとの指摘があり、畿内政権との関係を探るうえでも重要な古墳です。昭和49(1974)年11月25日、国の史跡に指定されました。(文は現地説明板より)
※墳丘測量図は、現地説明板に掲載の測量図に追記(紺色の後円部・前方部の文字)し引用。
浦間茶臼山古墳
国史跡
<所在地>岡山市東区浦間・浅川
「墳丘測量図」の現在地より見た方部(東面) |
前方部の側面部分。この辺りは、畑として削平されたため、改変されている
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後円部側から望む撥(ばち)形を呈する前方部上面
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この奥が後円部墳頂 |
上がりきった所が後円部墳頂となり、三段で築かれている構造がうかがえる |
後円部墳頂。墳頂中央の巨大な乱掘壙は、保全のため大木で覆われている。この地下に竪穴式石槨が遺存していた
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後円部墳頂から眺めた周辺地域 | <アクセス>
宇野バス「山の端」停留所下車、徒歩15分。バス停留所辺りから北方に大型の前方後円墳が望観される。
<訪問日>2013年2月
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浦間茶臼山古墳全景
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