このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

門田貝塚・寒風古窯跡群・朝鮮通信使遺跡牛窓本蓮寺境内
国指定史跡 門田貝塚
(現地説明板)
本蓮寺三重塔(県重文)

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寒風古窯跡・本蓮寺周辺図
■交通〜寒風古窯跡〜岡山ブルーライン(邑久IC)から車で南へ約7分。本蓮寺〜岡山ブルーライン(邑久IC)から車で南へ約10分
朝鮮通信使ゆかりの井戸
旧中国銀行牛窓支店(街角ミュゼ牛窓文化館)横の筋を入った所にある。
国指定史跡 朝鮮通信使遺跡 牛窓本蓮寺境内
寒風古墳
3号窯跡
 門田貝塚は、吉井川東岸の自然堤防上にある弥生時代前期から鎌倉時代に及ぶ集落遺跡です。史跡の名称となっている貝塚とは、人々が当時食べた貝の殻を捨てた場所のことです。

 貝塚からは、ほかにも土器・石器・獣や魚の骨などが多く出土し、当時の人々の生活の様子を知ることができる貴重な遺構(生活の跡)と考えられています。また、弥生時代以降の遺構も良く残っており、古代の歴史や生活ぶりを知ることができます。
(文は現地説明板より。以下同じ。)

指定年月日:昭和60年3月6日
本蓮寺入口
所在地:瀬戸内市牛窓町牛窓
寒風陶芸会館
 寒風一帯からの出土品ならびに焼物の歴史的推移等を見ることができ、また、陶芸教室も開設(有料)。「入館料」無料。なお、寒風陶芸会館に隣接して寒風古窯跡が位置する。
1−Ⅱ号窯床面出土須惠器
 寒風一帯の古窯跡群は、西日本有数の須惠器窯で、その昔、朝廷へ陶器を調具する六国の一つにあげられた備前国の生産地であり、現在の備前焼のルーツといわれている。
「寒風古窯跡群(所在地:瀬戸内市牛窓町長浜)
 
今から約1400年前〜1300年前にこのあたりで須惠器が焼かれていました。窯は現在、5基見つかっています。「須惠器」とは、今から約1600年前に朝鮮半島から伝わった新しい技術で作られた器です。窯を使って還元焔(酸素が十分でない状態の炎)で焼かれるため灰色になり、また、高温(約1000度。それまでは野焼きで約800度)で焼かれるため、硬く焼き締り、水を入れても漏れないため、非常に重宝されました。(文は寒風陶芸会館のリーフレットより引用。以下同じ。)
(現地説明板)
1号窯跡
 
左奥より1ーⅠ号窯跡、真中は1ーⅡ号窯跡、手前が1−Ⅲ号窯跡。窯は、山の斜面にトンネルを掘って造られた登り窯で、大きさが長さ5m以上、幅2m、高さ1m以上ありました。
門田貝塚の現況
復元溝(写真下の通路状のもの)、復元貝塚(低い植込み部分)、竪穴住居などが整備復元されている。
国指定史跡 寒風古窯跡群
復元貝塚(採取した実物の貝殻を使って復元)
貝で埋まった弥生時代前期の溝(現地説明板の写真より)
 
門田遺跡の貝塚は、弥生時代の前期(今から約2.300年前)の人々が、当時食べた貝の殻を捨てて、たくさんたまった所です。幅約4〜5m、深さ約1mほどの浅い溝の中に貝殻が捨てられたもので、大きく3回に分けて捨てられています。貝殻のほとんどが大形のハイガイで、ほかにハマグリ・カキ・シジミなども含まれています。貝殻以外には、イノシシ・シカ・タヌキ・鳥・魚などの骨のほかに、多くの弥生土器や石の穂つみ具・矢じり・斧などの石器も見つかりました。これらのさまざまな出土品から、当時の人々が稲作を中心として狩りや魚とりもさかんに行っていたことがわかります。
■交通:JR赤穂線邑久駅から徒歩約5分
■見学自由 無料駐車場有

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