このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
うつぶきじょう
打吹城
【所在地】鳥取県倉吉市仲ノ町
打吹山の北麓に開かれた
打吹城跡の打吹公園
打吹公園は、打吹山の山麓の地を利用し、大正天皇が皇太子のとき山陰においでになられたのを記念して、明治37年に造園したもの。その後も手を加え、現在はサクラとツツジの名所となっている。
備前丸跡
越中丸跡
案内表示板
武者溜
本丸へ至る遊歩道
■打吹公園周辺案内図
打吹城跡から中腹の長谷寺にかけて、小鴨丸、備前丸、越中丸の郭跡が残る。その中の越中丸は、安土桃山時代に打吹城の出丸として築かれた。その当時の打吹城は羽衣石(東郷郡羽衣石)を本拠とする南条氏の支配下にあり、南条備前守、山田越中守、小鴨元清の三人が城番として派遣されていた。そして、この三人は打吹城の改修を行い、それぞれ中心となって築いた場所は、備前丸・小鴨丸・越中丸と呼ばれている。また、成徳小学校周辺には、かつて倉吉陣屋をはじめ武家屋敷が広がっていた。
▲城跡碑
▲打吹城本丸跡
【打吹城の沿革】
倉吉市を一望する標高204mの打吹山上に位置する山城。
14世紀中期、伯耆(鳥取県)守護山名時氏の嫡子師義(もろよし)が、打吹山上に築城したのが始まりと伝わる。戦国時代には、尼子氏と毛利氏による激しい争奪戦が繰り広げられた末、毛利領に組み込まれた。関ヶ原の戦いののち、中村一忠が米子城主となると、打吹城は支城の一つとなり、近世城郭として整備された。
中村氏が無嗣断絶となると、幕府直轄領となる。その後、鳥取城主の池田氏の所領に加えられたが、1615年(元和1)に一国一城令で廃城(陣屋は残る)。堀は埋め立てられ、石垣は崩された。本丸周辺には、破却を免れた石垣が点々と残されている。
土蔵群は、赤褐色の瓦屋根から「赤瓦」の名でよばれる
東西に流れる玉川
漆喰の白壁が美しい土蔵と玉川
旧城下町のたたずまいを残す白壁土蔵の町から見る打吹城跡(打吹山)
倉吉は城下町としても賑わいを見せた。当時の様子が残るのは市役所の周辺で、市内を流れる玉川に沿って白壁土蔵が連なり、当時の面影を漂わせている。1998年(平成10)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
【交通アクセス】
JR山陰本線倉吉駅よりバスで市役所・打吹公園入口下車、徒歩3分で打吹公園入口
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