このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

国指定重要文化財

岡山城月見櫓  岡山城西丸西手櫓

岡山城月見櫓

△月見櫓内部の特別公開<城内側から見た月見櫓>(平成22年11月3日訪問)
 月見櫓は岡山城本丸跡に現存する唯一の櫓。中の段の北西隅にあり、城の裏口を守護する役割を担っていた。元和元年(1615)から寛永9年(1632)まで岡山城主であった池田忠勝(ただかつ)が、中の段の拡幅を行った時に建てた櫓である。岡山城内に35棟あった櫓の中で最新の櫓で、最も優美な櫓でもあった。櫓の平面は東西9.8メートル(柱間は5間)、南北7.9メートル(柱間は4間)で、高さは13.8メートル。南面に、1階入口(月見櫓特別公開の立看板の後方)と地階入口(月見櫓特別公開の立看板の右側)が設けられている。※(文は現地配布リーフレットを引用して作成。以下同じ。)

△地階
 城外側からは存在が判りにくい最下の階。上の1階の床板を外せば上の階と地階とが、守備兵の通行が自由となる。


△1階の引上げ式床板

△1階内部
 1階と2階を繋ぐ階段と、床は引上げ式床板。窓は格子が入った出窓造りで視界を確保している。


△釘隠し
 右の黒く丸い金具が釘隠(くぎかく)し。

△1階の格子が入った出窓と石落とし

△横から見た格子窓と石落とし


△武者隠し
 2階西側の千鳥破風の裏は小部屋となっていて、外を監視したり鉄砲を撃つことができる仕掛けの軍事施設。


△武者隠しの部屋
 格子窓の右の板壁には銃眼が組み込まれている。
銃眼
 月見櫓の南と東に続く城外側の石垣頂部には、徳川期大坂城などと共通する半円形のえぐりを入れた切石の銃眼が組み込まれている。
岡山城西丸西手櫓

 西丸西手櫓は、岡山城本丸の外周を固める帯曲輪である「二の丸内屋敷」の西側に位置する郭「西の丸」の西端を守る隅櫓で、慶長8年(1603)頃に建築されたといわれている。

所在地=岡山市北区丸の内
 (岡山市民会館西側の就労継続支援B型事業所敷地内)
 構造は、塗籠造り本瓦葺2階建で、1・2階とも桁行(南北)10.36m、梁間(東西)7.27m、棟高10.60mの重箱櫓である。 
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△月見櫓北面(城外側)
 3階建てであるが、城外からは2階に見える。櫓が建つ地盤が水平でなく、城外側が石塁によって一段高くなっているためである。1階の格子が入った出窓は、視界を確保し、下方に射撃を行うための施設である石落しが設けられている。1階の下にある地階は、西側と北側が石塁で囲まれているため、外からは存在が判りにくいうえ、堅牢な穴蔵式となっている。

△月見櫓西面(城外側・千鳥破風側)と南面(城内側・雨戸側)
 最上部の屋根は入母屋造りで、下層の屋根は変化に富み、唐破風や千鳥破風が組み込まれている。壁は総白壁の塗籠造りで、土壁の上に下見板を張ることで黒壁となった天守と好対照をなしている。2階西側の千鳥破風の裏は小部屋となっていて、外を監視したり鉄砲を撃つ仕掛けがある軍事設備となっている。一方、城内側は、普段は雨戸が入っているが、広く開け放つ事ができる。櫓の名前の通り城主が風流に月見を楽しんだのかも知れません。
 最大の特徴は、城外側は軍事設備を施しているのに対し、城内側は開放的で、櫓本来の機能を越えて内部の居住性を高めている。これは、櫓が建てられたのが元和の戦争のない時期にあたり、軍事的な装備や技術が極度に発達しながらも、豊臣家が滅亡して戦乱の危機が急激に低下した時代相を反映したものといえる。

△月見櫓の復元工事
※月見櫓復元工事(上)と内部の写真(右)は櫓内展示ポスターより。

△月見櫓の内部
※武者隠し=武者を控えさせておく警固のための部屋。※石狭間=城壁にあけた弓や鉄砲などを射つための穴。

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