このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


[所在地]岩手県西磐井郡平泉町 [築城年]中世 [形式]平城/堀が周囲を取り巻き館城(やかたじろ)式の築城 
[開園時間]9:00〜17:00(11月〜3月 9:00〜16:30) [休園日]12月29日〜1月3日 [入園料]無料

『柳之御所遺跡』とは
 この遺跡は、平安時代末(12世紀)の居館跡で、歴史書『吾妻鏡』に記載される「平泉館(ひらいずみのたち)」に比定され、奥州藤原氏の政務の場と考えられている。南西側の低地は猫間が淵(ねこまがふち)と呼ばれている。

 継続的な発掘調査によって、堀・園池・掘立柱建物・便所などの遺構、京都や海外との交流を示す土器や陶磁器などの遺物が多数発見されている。

 わが国の北方領域に展開した政治・行政上の拠点を示す遺存状態の良港な遺跡として、平泉の文化遺産の中でもとくに重要である。

 この遺跡は、中心部を囲うように巨大な堀がめぐり、堀の内部には、庭と池に面して、儀式が行われた大型の建物が配置されています。

 また、遺跡からは、儀式に使用されたかわらけが10トン以上も出土し、中国産陶磁器も多量に見つかっています。当初、遺跡の一部には、北上川の堤防と平泉バイパスの建設が予定されていましたが、平成5年(1993)に建設省(現国土交通省)はそのルートを変更し、遺跡が保存されることが決定しました。

 平成9年(1997)には、国の史跡に指定されています。
(写真・文は現地説明板と柳之御所資料館内資料より)

「訪問年月日」平成25年(2013年)10月
 
■平泉周辺地形模型(柳之御所史跡公園展示)


     
     

■遺構の位置
①柳之御所資料館
②橋
③道路
④堀
⑤塀
⑥厩(うまや)
⑦付属建物
⑧廊下状建物
⑨広場
⑩園池
⑪中心建物
⑫西庭
⑬井戸
⑭高床建物
⑮汚物廃棄穴
⑯大型建物
⑰竪穴建物
(案内図は現地説明板に追記の上、掲載)

 柳之御所史跡公園

【柳之御所遺跡西側地点】発掘調査の様子






発掘調査の目的の一つとして、柳之御所遺跡と隣接する無量光院跡との繋がりを把握する資料を得ることが挙げられる。
【堀】


 大規模な堀で区画されたすがたは柳之御所遺跡の大きな特徴です。内と外の平行する2本の水のない空堀が見つかっています。2本の堀は時期が異なり、併存していたわけではありません。遺跡の南側では内側の堀が新しく、三代秀衡の頃はこの堀に囲まれていたと考え、一部を復元しました。堀は延長500mもあり、全体像の解明はこれからです。

 内側の堀は最大で幅14m、深さ4mもあります。堀には橋が架けられ、遺跡の外の道とつながっていました。


 

【橋】


 堀には橋がかけられていました。この地点を含めて、現在までに3か所が確認されています。
 この他にも無量光院へと結ぶ地点など、橋の存在が予想される場所もあります。堀からは橋の部材と考えられる角材が出土しています。
 



【道路跡】


 平行した2本の溝跡を、道路の側溝と考えました。幅は10〜12mほどで、遺跡の南側では全長50m以上にわたり見つかっています。
 また、この道路の南端には堀にかかる橋があり、その線を延長すると、町内で発掘されている道路とつながると考えられます。

 


【園池】


 金鶏山(左後方)を向うに、中心建物や庭に面して池が見つかりました。池は新旧2時期(1・2期)あり、新しい方の池を復元しています。導水路が見つかっておらず、池の水は湧水や雨水などを利用したと考えられます。
 復元した池は、発掘された池に盛土をして再現したもので、範囲を推定した部分は石の敷き方を変えて表しています。
 



【中心建物】


 遺跡内のこの周辺は、大形の建物が集中しています。これらの建物は規模が大きいことや、池や広場に面していることから平泉館(ひらいずみのたち)の中心的な施設と考えられます。
 西の建物は東西約11m、南北14mの大きさで、広い廂(ひさし)をもち、特に格式の高い建物と推定されます。
 東の建物は、南北の長さが25mもある長大な建物跡です。この2棟の建物と池、広場などを含めた一帯が、儀式に使用された空間と考えられます。
 



【大形の建物】


 東西が20m、南北が18mもある大型も建物です。平泉で見つかっている当時の建物の中で、最も広い面積を持ちます。
 建物の内側にも柱の列がある、総柱の構造を持つ建物と考えられます。
 



【竪穴建物】


 この建物は、東西が7m、南北が8mの竪穴(たてあな)の床面に柱を立てている構造で、北側と東側には張り出しがあります。
 かわらけが大量に重なって出土していることや、中心建物に近いことから、儀式の道具を納めていた倉庫とも想定される建物です。
 



【付属建物】


 中心建物を補助した役割を持つと考えられる建物が、付属建物です。これらは、儀式の際に食事の準備をする厨(くりや)や、同行した家来たちがつめている建物などにあたると想定しています。
 ここでは、発掘によって明らかになった柱の位置と太さを示し、建物の内部と外側の広がりを区別して表現しています。実際に出土した柱材の多くが栗材だったため、柱は栗材を用いて表示しました。
 付属建物は、中心建物に比べると柱の太さや間隔が小さいことから、小規模な建物だったことがわかります。

 


【井戸】


 平成21年(2009)までに、64基の井戸跡が見つかっています。中には、深さが5mをこえるものもありました。
 井戸からは、木製品の他に、陶磁器や印章など、貴重な遺物も出土しています。
 




特別史跡無量光院跡
 無量光院は、平安時代末に三代藤原秀衡が建てた寺院の跡。宇治(京都)の平等院鳳凰堂を摸して建立。

伽羅之御所跡
 秀衡の日常の居館、伽羅(きゃら)の御所はこのあたりと考えられている。秀衡は、兄頼朝に追われた源義経を温かく迎えます。秀衡の亡き後鎌倉の圧力に耐えかねた四代泰衡は、父の遺命にそむいて義経を討ちます。しかし、鎌倉の本心は義経追討を口実にした平泉の存在そのものにありました。文治5年8月(西暦1.,189年)、頼朝は28万4千騎という大軍を持って平泉を攻めます。住む人も居なくなった平泉は、その後野火などによってさすがの栄耀を誇った堂塔伽藍も焼け失せ、800年の歳月はわずかに内濠の跡や、土塁の一角をとどめるのみであります。


柳之御所資料館 


柳之御所資料館
 柳之御所遺跡について紹介するガイダンス施設。遺構の内容と復元の考え方を解説するとともに、出土した遺物のうち約400点(重要文化財)を展示しています。
入館無料 9:00〜17:00


かわらけ(皿の形をした素焼きの土器)
 柳之御所遺跡から最も多く出土するかわらけは、ロクロを使用して製作したものと、手づくねのものの2種類がある。主な用途は食器として使用された。
 
銅印
 井戸状遺構の埋土から出土。磐前村印(いわさきむらいん)の4文字が見える。銅印の発見により、藤原氏は村を単位とする統治システムを採っていたことが判明した。

 

 松双鶴鏡は2羽の鶴が飛んでいる周りに松が配されている。また、周囲には蝶も飛んでいる。直径は11、5㎝、重量は264g。井戸跡の底面近くから出土。

出土した下駄
 柳之御所遺跡では、烏帽子、櫛、扇の骨、下駄などが出土している。

柳之御所周辺図
「アクセス」JR東北本線平泉駅から徒歩15分
※駅近くには、レンタサイクル店あり



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