このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

■吉野ヶ里歴史公園■
<YOSHINOGARI HISTORICAL PARK>
吉野ヶ里の歴史
 弥生時代は約600年間も続く長い時代です。吉野ヶ里遺跡では、この長い弥生時代の全ての時期の遺構・遺物が発見されています。しかもそれぞれの時期の特徴をよく表わしているものが見つかっており、この時代にどのように社会が変化していったかが1つの遺跡で分かる極めて学術的価値の高い遺跡です。
 吉野ヶ里歴史公園では集落が最盛期を迎える「弥生時代後期後半(紀元3世紀頃)」を復元整備対象期間として、これまでの発掘調査成果をもとに復元整備を行なっています。
■弥生時代前期(紀元前3〜前2世紀)
吉野ヶ里の丘陵一帯に分散的に「ムラ」が誕生します。やがて南側の一画には環壕をもった集落が出現し、「ムラ」から「クニ」の中心集落へと発展する兆しが見えてきます。
■弥生時代中期(紀元前2〜紀元1世紀)
丘陵の南側を一周する大きな外環壕が掘られます。首長を葬る「墳丘墓(ふんきゅうぼ)」や、たくさんの「甕棺墓列(かめかんぼれつ)」も見られます。集落の発展とともに、その防御も厳重になってきていることから「争い」が激しくなってきたことがうかがえます。
■弥生時代後期(紀元1〜3世紀)
国内最大級の環壕集落へと発展し、大規模なV字形の外環壕によって囲まれ、さらに特別な空間である2つの内郭(北内郭・南内郭)をもつようになります。これらの内郭には、祭殿や物見櫓などの大型の建物が登場し、吉野ヶ里の最盛期にあたります。
<文は現地案内パンフ、説明板より。以下同じ>
発掘されたおもな遺構の復元
環壕(かんごう)
 集落を外敵から守るV字形断面をした壕(ほり)

 集落全体を守る大きな外壕と、その内側を区画する内壕がある。
物見櫓(ものみやぐら)
 敵の見張りや集落の威容を示すシンボル的な役目を持つと考えられる高層の建物。
穴住居(たてあなじゅうきょ)
 地面を掘り下げて作った半地下室の住居。

 時代や地域によって住居の形が丸や長四角のもの、構造も2本柱や4本柱など様々なものがある。
甕棺(かめかん)
 甕棺とは棺おけのことで、弥生時代の北部九州だけに見られる特色的なもの。

 吉野ヶ里では、長さ600mにも渡って2列に埋葬された「甕棺墓列」をはじめ、丘陵の各所にたくさんの墓地が設けられている。

吉野ヶ里歴史公園案内図
  
 吉野ヶ里遺跡の最大の特徴とされるのが集落の防御に関連して作られた環壕集落の遺構(環壕集落ゾーン)です。V字形に深く掘られた総延長約2.5キロメートルの外壕が囲んでいる範囲は約40ヘクタールにもなります。壕の内外には木柵、土塁、逆茂木(さかもぎ)といった敵の侵入を防ぐ柵が施されていました。
※なお、西口サービスセンターはJR神埼駅側の入口、歴史公園センターはJR吉野ヶ里公園駅側の入口となります。

      
 環壕集落ゾーンの環壕入口広場に復元された城柵、土塁、環壕、逆茂木。
※逆茂木(乱杭)〜米作りが盛んになるにつれて、水や土地を奪い合う争いが起こるようになりました。人々は自分たちの集落を守るため、集落の入口など特に重要な区域には、とがった木の枝や幹でバリケードを築き、より厳重に守っていました。これを逆茂木と呼んでいます。

吉野ヶ里遺跡展示室

須恵器と土師器

絵画土器

有柄銅剣・管玉が出土した甕棺の模型

頭骨のない人骨を含め吉野ヶ里から出てきたすべての人骨は長崎大学医学部で保存・研究されている。

墳丘墓から出土した銅剣の配置

甕棺、農具、武器などの出土品が展示されている展示室内の様子。
北墳丘墓・立柱・祀堂・墓道
 北墳丘墓(きたふんきゅうぼ)は歴代の王の墓であり、西には壕をわたって走る墓道(ぼどう)、南には祖霊の宿る立柱(りっちゅう)と、歴代の王の祖霊へお供えやお祈りを捧げる祀堂(しどう)がある。
国指定特別史跡

▲南内郭から望む復元された北内郭の建物群
 右側の一番大きな建物は主祭殿。

吉野ヶ里
環壕集落を再現するゾーン
「南内郭」「北内郭」「北墳丘墓」「倉と市」をゆく

▲復元された南内郭と建物群
 南内郭背後(北側)の区域は、主祭殿が建つ北内郭。後方の山は背振山系。

北墳丘墓、立柱、祀堂を望む

▲復元された南内郭と正門
 正門の両脇には物見やぐらがそびえたっている。

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▲JR長崎本線「吉野ヶ里公園駅」から見た吉野ヶ里歴史公園センター(東口)

▲市の中心に建つ市楼(しろう・左端の建物)と倉庫群

▲南内郭より見る復元された倉と市
 手前の建物は、クニの大倉(おおくら)。後方は、市の中心部。

■墳丘墓〜弥生人たちは亡くなったら平らなところに墓穴を掘って次々と埋葬されますが、身分の高い人達は、人力で土を積みあげて作られた小山のような「墳丘墓」と呼ばれる大きな墓に埋葬された。

 次の古墳時代には前方後円墳など「古墳」と呼ばれる大きな墓が作られますが、弥生時代の墳丘墓はその起源ではないかと考えられている。

▲東祭殿
 夏至の日の出と、冬至の日の入りを結ぶ線上にある高床の建物。
 太陽の動きを知るための建物で、ここでは季節ごとのまつりが行なわれていたと考えられている。

▲高床住居
 ほぼ正方形に近い特殊な形をした高床の建物。
 主祭殿の近くに位置していることから、高床倉庫ではなく、普段は人前に姿を見せなかったといわれる最高司祭者の住まいだったと考えられている。

▲主祭殿
 吉野ヶ里のクニ全体の重要な事柄を決める会議を行なったり祖先の霊への祈りやまつりを行なったりした中心的な建物と考えられている。

▲北内郭の入口
 まっすぐ入ってこれないように、鍵型に折れ曲がった構造をしている。こうした作りは、古代中国の城郭都市に多く見られ、吉野ヶ里が大きな影響を受けていることを示している。

▲北内郭の様子
 左より復元された主祭殿、竪穴住居、竪穴住居の右奥は物見櫓、右端は高床住居。

【所在地】佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手

北内郭
 田植えや稲刈りの日取りを決めたり、季節ごとのお祭りの日を決めたり、また大きな「市」を開く日取りを決めるなど、吉野ヶ里を中心とするクニ全体の重要な物事についての儀礼的な話し合いと祖先への祀りが行なわれていた、神聖で最も重要な場所と考えられています。
「国」の倉と市
 南内郭の西側にあるこの地域は、吉野ヶ里の「国(くに)」の倉(くら)と市(いち)があったと考えられています。市は、厳重に壕と柵で区画され重要な物資を収める倉、税を収める倉、市にかかわる倉などがあります。市は、南や西の広場で開かれ、各地からたくさんの人が集まります。中央には、市を管理する建物(市楼)もあり、その二階では太鼓と旗で市の開催を知らせます。

▲北墳丘墓
●今からおよそ2100年前、弥生時代中期(紀元前2世紀〜紀元1世紀頃)吉野ヶ里遺跡北側の標高約25mの段丘上に巨大な墳丘墓が築かれました。この墳丘墓は、南北約40m、東西27m、盛土の高さは4.5mの平面隅丸長方形であったと考えられています。
●この墳丘墓からは、成人用の甕棺が14基発掘され、その多くから身分を示すと考えられる銅剣や管玉が発見されました。そのため、この北墳丘墓は、弥生時代中期の吉野ヶ里遺跡の歴代の王または首長と考えられる人々が葬られていたと考えられており、吉野ヶ里遺跡の中でも弥生の「クニ」社会を裏付ける最重要遺構のひとつとなっています。
※なお、北墳丘墓内部は発掘当時の様子が一般公開されています。入口は反対側にあります。

<左上>南内郭を囲む環壕と城柵

<右上>物見櫓

物見櫓は南内郭の中の4ヶ所に建っており、兵士がのぼり、四方に目を配りながら、集落に近づく者たちの様子を監視していたと考えられている。

<左>王の家

南内郭の北西部には柵などによって囲まれた特別な空間があり、その中にあった竪穴住居は、王の家をはじめ、その娘夫婦や妻の家であったと考えられている。

吉野ヶ里遺跡は弥生時代における日本最大規模の環壕集落遺跡

南内郭
 吉野ヶ里の2つの中心区域のうち、南側にあるものを南内郭と呼んでいます。周囲を環壕と城柵で厳重に囲まれ、敵を見張ると同時に吉野ヶ里集落の権威を示すシンボル的役割を持っていた物見櫓と考えられる建物跡が見つかっていること、人々が住む竪穴住居が中心であること、当時としては極めて貴重な、一部の有力者しか持つことができなかったと言われる鉄製品が数多く見つかっていることなどから、吉野ヶ里の指導者たちの生活の場であると考えられている。

<左>北墳丘墓入口
<下>一般公開されている北墳丘墓内部
 平成元(1989)年度と平成4(1992)年度の発掘調査で、墳丘墓内では14基の甕棺墓が発掘され、銅剣8本、ガラス製管玉79点、布片、人骨や歯の破片などが発見された。
 その後、墳丘墓は、遺構保護のために埋め戻されていたが、平成19(2007)年に埋め戻した土を除却し、露出した遺構や甕棺には保存強化処理を施し、甕棺を再び埋置して、発掘調査当時のすがたを蘇らせ、平成20(2008)年2月に一般公開するに至った。

<左>環壕集落ゾーン案内図
<下>東口入口
歴史公園センター、レストランなどがあり、入口から「天の浮橋」を渡った所が環壕入口広場。

吉野ヶ里ACCESS MAP

<左上>JR吉野ヶ里公園駅
左の三角形をした屋根の建物は、吉野ヶ里公園案内所。
<右上>吉野ヶ里公園駅前に設置の公園案内標識
この場所からほぼ真っ直ぐ北へ行きます
<左>駅からの道案内図
道の途中にも案内標識があり、駅より徒歩約10分。

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